2013年のロード世界選手権開催地フィレンツェが、2014年ツール・ド・フランスのグランデパール(開幕地)招致に名乗りを挙げる。ジーノ・バルタリの息子アンドレアと同市の副市長が明らかにした。

観光都市として名高いフィレンツェ観光都市として名高いフィレンツェ photo:www.comune.fi.it「5年間に渡って、グランデパール招致のプロポーザルを出し続けていたんだ。ようやく話が正式にまとまった。招致が成功すれば、父の生誕100周年を祝う記念すべきイベントになる」ジーノ・バルタリの息子アンドレアはイタリアのウェブサイトTuttobiciwebにそう語った。

イタリアを代表する往年の名選手として知られるバルタリは、1914年、トスカーナ州フィレンツェの南西7kmに位置するポンテ・ア・エマで誕生。2000年に亡くなるまでの85年間、バルタリは生粋のフィオレンティーノ(フィレンツェ人)として地元に住み続けた。

フィレンツェ出身のジーノ・バルタリフィレンツェ出身のジーノ・バルタリ photo:Cor Vos母国のジロ・デ・イタリアで2度の総合優勝を経験したバルタリのツールデビューは1937年。グルノーブルにゴールする山岳ステージで優勝し、マイヨジョーヌを2日間着用したが、第12ステージ序盤の落車でリタイアを余儀なくされた。その不本意な結果を払拭するかのように、翌1938年にツール制覇を達成。第二次世界大戦後の1948年に再び総合優勝している。1950年大会でステージ通算12勝目を飾った。

これまでツールは合計18回フランス国外でグランデパールを迎えている。しかし、意外にも隣国イタリアでグランデパールを迎えた前例がない。

国外グランデパール
1954年 アムステルダム(オランダ)
1958年 ブリュッセル(ベルギー)
1965年 ケルン(ドイツ)
1973年 スヘフェニンゲン(オランダ)
1975年 シャルルロワ(ベルギー)
1978年 レイデン(オランダ)
1980年 フランクフルト(ドイツ)
1982年 バーゼル(スイス)
1987年 ベルリン(ドイツ)
1989年 ルクセンブルク(ルクセンブルク)
1992年 サンセバスティアン(スペイン)
1996年 スヘルトーヘンボス(オランダ)
1998年 ダブリン(アイルランド)
2002年 ルクセンブルク(ルクセンブルク)
2004年 リエージュ(ベルギー)
2007年 ロンドン(イギリス)
2009年 モナコ(モナコ公国)
2010年 ロッテルダム(オランダ)
2012年 リエージュ(ベルギー)

フィレンツェでのグランデパールが実現すれば、フランスに入国するまでに2〜3ステージはイタリア国内を走ることになるだろう。二国を分つアルプス山脈を越え、そこからピレネー山脈に向かう可能性が高い。

同市のダリオ・ナルデッラ副市長は、すでにアンドレア・バルタリのプロポーザルにGOサインを出している。ツール主催者ASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン)への正式な立候補は近日中に行なわれる予定だ。

昨年9月29日、フィレンツェは2013年ロード世界選手権の招致を成功させている。グランデパール招致が成功すれば、僅か9ヶ月の間に、世界トップクラスのレースを2つホストすることになる。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji