ツール・ド・フランスのステージ2勝の他、パリ〜ルーベで4回トップ10フィニッシュし、トラックレースの造詣も深いレオン・ファンボン(オランダ)。2013年に引退し、現在はサイクルフォトグラファーとして活躍するファンボン氏によるヘント6日間レースのフォトエッセイをお届けします。







その競技場の名前は「キュイプケ」。フラマン語で「小さな浴槽」を意味する言葉だ。周長166mのヴェロドロームを見ると、そのネーミングに納得してしまう。トラックの内側は平面で、その周りに角度52度の壁がせり上がっている。このスタジアムで6日間にわたって闘いが繰り広げられるのだ。ヘント6日間レースのチケットは毎晩売り切れ。テロリズムの脅威をはらみながらも、トラックを囲むシートは連日満席だった。

その雰囲気はユニークそのもの。エネルギーの塊のような5,000人の観客の視線がトラック上の選手に注がれる。ヘント6日間レースはある種のブームだ。グランツールで優勝争いする選手が出場するわけではないが、トラックのスペシャリストと地元のヒーローがスタートに並ぶ。レースが始まるのは決まって夜の8時ごろ。選手が華々しく紹介され、そしてレースが始まる。










ポイントレースからデルニー、マディソン、タイムトライアル、ケイリンまで多種多様な競技を二人一組のチームでこなす。中でも最も盛り上がるのがマディソンだ。エンドレスに続くアクションと複雑なレースを目で追い、しっかり理解するまでには鍛錬が必要だ。

トラックの全体に選手が散らばり、おそらくあなたの想像を超えた速さでラップを重ねていく。タッグを組む選手を片手で解き放つシーンが最も重要でスペクタクルだ。時速60km/hでチームメートの手を握り、レースの興奮の中に放り込む様を想像して欲しい。連携が上手ければスピードを繋ぐことができるが、疲れていたり、タイミングが合わなければスピードを失ってしまう。









ライバルたちを周回遅れにすると観客は叫び、さらにドゥブレット(2周回遅れ)で観客は我を失う。それがイーリョ・ケイセであれば、会場の全員が彼の名前を叫ぶことになる。観客全員の腕に鳥肌が立っているはず。現役を引退し、今はフォトグラファーとして働く自分でも大きな興奮を覚える。

イーリョは地元のヒーローであり、最も人気を集める選手。同時にエティックス・クイックステップのメンバーとしてロードレースを戦う選手である。矢のような速さの持ち主で、ずば抜けたバイクコントロールは他の追随を許さない。彼が勝つと時速65km/hでウィリーを決めてしまうのだから。そんな彼の伴侶となったのが、ティンコフ・サクソのミカエル・モルコフ。同じくロードレーサーでありながら6日間レースのスペシャリストだ。









エンターテインメントとトップスポーツが融合したヘント6日間レースを、自分は愛してやまない。そこではビールとハンバーガーがスタンダード。選手たちが疲弊し、イベントも終盤に差し掛かるころには、会場は酔っ払いで溢れかえっている。ビールを片手にダンスし、叫び、重なり合うようにジャンプしながらも、彼らの目はトラックに向いている。そんな雰囲気は他のどこにもない。







かつてはタバコの煙とハンバーガーを焼く煙で会場の空気は悪かった。その昔自分が6日間レースを走った時、レース後に体に染み付いたタバコと煙の匂いに嫌気がさした。でも今は会場内は禁煙で、ハンバーガーの調理場が場外に移されたことで、随分と空気が良くなった。いろんなことが改善され、選手にとって良い環境が整いつつある。

第二次世界大戦後しばらくは、レースは24時間行われていた。つまり24時間休みなしの6日間。休むことが出来るのはチームメートが走っている間だけ。今は、他の6日間レースよりも少し遅めの午前1時半にレースが終わる。レースも長くて1時間で、厳しいながらもそこまで過酷ではない。それでも6日間レースは6日間レースだ。選手が待機するキャビンやホイール固定用の15mmスパナ、レース、デルニーの音と匂い、そしてその舞台となるトラックは今も昔も変わらない。








今回イーリョが決定的な差をつけたときには鳥肌が立った。自分のレースとも言えるヘントで、腕を上げて涙を浮かべながらチームメートのモルコフに感謝する。観客たちも皆、納得して会場を後にする。イーリョの素晴らしいレースが、テロのことなど忘れ去ってしまうような熱狂をもたらした。

会場から家路につく者もいれば、そのままイーリョの父親が経営するパブ ”カフェ・ド・カルペール” のパーティーに向かう者もいる。自分はあいにく帰路に着いたが、パブではイーリョが父親の横でビールをタップしていたらしい。彼の名前を叫ぶ声に溢れていたに違いない。来年もイーリョは”ドゥブレット”をやってくれるだろう。またその場で彼の勇姿を見たいと思う。

レオン






レオン・ファンボン

photo:Makoto.AYANO1972年1月28日生まれの43歳。ジュニア時代からトラックレースで活躍し、ロードレースに転向。1998年にHEWクラシックス(現ヴァッテンフォール)で優勝を飾り、以降ツール・ド・フランスでステージ2勝、ブエルタ・ア・エスパーニャでステージ1勝を飾る。ワンデークラシックでも強さを発揮し、1998年パリ〜ルーベ4位、1999年ミラノ〜サンレモ6位、アムステルゴールドレース6位。2004年のロンド・ファン・フラーンデレンで4位の成績を残している。ラボバンクやロットに所属後、キャリア終盤はトレック・マルコポーロで活動。2008年にはツアー・オブ・ジャパンに出場している。2013年に現役を引退した後はフォトグラファーとして活動。ヨーロッパを中心にロードレースを撮影している。

text&photo:Leon Van Bon