2007年のジロ・デ・イタリア総合2位で鮮烈なデビューを飾り、2010年にはツール・ド・フランス総合優勝(コンタドール失格による繰り上げ)を果たしたアンディ・シュレク(ルクセンブルク、トレックファクトリーレーシング)が今シーズンをもって現役を引退することを発表した。



アンディ(左)とフランク(右) 兄弟揃って今季トレックファクトリーレーシングに移籍アンディ(左)とフランク(右) 兄弟揃って今季トレックファクトリーレーシングに移籍 photo:Cor Vos


2009年リエージュを制したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク)2009年リエージュを制したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク) photo:Cor Vos10月9日、地元ルクセンブルクで記者会見を開いたアンディ・シュレクが現役引退を発表した。

2011年ツール ガリビエ峠を制したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、レオパード・トレック)2011年ツール ガリビエ峠を制したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、レオパード・トレック) photo:Makoto Ayano2014年限りでトレックファクトリーレーシングとの契約が切れ、2015年以降のチーム未定の状態が続いていたシュレク。引退に踏み切った一番の要因に、ツール・ド・フランスの落車で損傷した右膝軟骨が回復しなかったことを挙げる。

2013年ツアー・ダウンアンダーに出場したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、レディオシャック・レオパード)2013年ツアー・ダウンアンダーに出場したアンディ・シュレク(ルクセンブルク、レディオシャック・レオパード) photo:Kei Tsuji29歳の若さでプロ選手生活にピリオドを打ったシュレクは記者会見で以下のように語っている。「2015年はプロ選手として活動しない。ツールのイギリスステージでの落車が致命的になった。靭帯は回復したものの、膝の皿の下にある軟骨がほとんど無い状態なんだ。3〜4時間のライドには耐えることが出来るが、登りで追い込むと膝が悲鳴を上げる。医師に診てもらったが、彼らに出来ることはもう無かった」。

アンディ・シュレク(ルクセンブルク、トレックファクトリーレーシング)アンディ・シュレク(ルクセンブルク、トレックファクトリーレーシング) photo:www.aotdl.com2005年に鳴り物入りでプロ入りしたシュレクは、チームCSCの一員として2007年ジロ・デ・イタリアで鮮烈なデビューを飾る。マリアビアンカ(ヤングライダー賞)を獲得するとともに、21歳の若さで総合2位に入った。

兄フランクとともにルクセンブルクを代表する選手に成長し、2009年リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでモニュメント初制覇。更にツール・ド・フランスで総合2位に入ってみせる。翌2010年のツールで再びアルベルト・コンタドール(スペイン)とバトルを繰り広げて総合2位に。クレンブテロール陽性によってコンタドールのタイトルが剥奪されたため、繰り上げでシュレクが総合優勝に輝いた。

サクソバンクからレオパードに移籍した2011年のツールでも再び主役級の活躍を見せ、超級山岳ガリビエ峠でライバルを圧倒して優勝。マイヨジョーヌを着て最終個人タイムトライアルに挑んだものの、カデル・エヴァンス(オーストラリア)に逆転されて総合2位に終わっている。

オールラウンダーとして順調に階段を登ったシュレクだったが、2012年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネの個人タイムトライアルで落車し、仙骨を骨折したことで歯車が狂い始める。

2013年は低迷してツール総合20位。かつての輝きを取り戻すことが出来ず、2014年はルクセンブルク選手権ロードレースで3位という成績を残したもののツールを落車リタイア。その落車が引退に繋がった。

「心が痛むが、他に選択肢は無かった」と語るアンディ・シュレク。2011年のガリビエ山頂フィニッシュがキャリア最後の勝利になった。

text:Kei Tsuji