毎年激しいスプリント勝負が繰り広げられるツール・ド・おきなわ50kmサーティークラス(30歳以上39歳まで)。今年は竹内宏がおきなわ初挑戦でその栄冠を手にした。レースに向けての練習方法や、当日の様子を本人直筆レポートで振り返ります。



2012年のおきなわの少し前、来年はおきなわ50kmに出ようと漠然と思った。

ロードバイクに乗り出して4年。それまでも機材を揃えてレースには出ていたけど、何か確かな目標があったわけではなかった。クリテリウムの下位カテゴリー以外では、結果を求めるレベルではありませんでした。

しかし、ある元プロアスリートの方との出会いに強く刺激を受け、自分の中でどこまで出来るか頑張ってみようという思いが強くなりました。そして今まで持っているだけのオモチャに成り下がっていたパワータップを使い、パワートレーニングを始めたのです。

しかし、正月の初乗りで落車し、5月までその痛みを引きずることとなってしまいます。回復し、6月からの準備期間は約半年。短すぎるが逆に「一日も無駄にしない」という高いモチベーションを保てたと思います。

大きく期分けすると、6~8月にベーストレーニングを行い、低負荷で距離を乗りました。重すぎるウェイトも絞りました。8~9月にはLT下での練習をレースの時間、距離を考慮し、8月にはコースを試走。2日で4周ほど周り、コースの感じを覚えました。9~10月は主にチームメンバーと2人以上で高強度の練習を、身体の疲れをためすぎないように。練習は本番の5日前まで行いました。最後の追い込みはチームメンバーに本当に助けられたのです。

soleil de lestの仲間たちsoleil de lestの仲間たち 高強度の練習を始めるまではベーストレーニングの効果も実感出来ず、果たして上手くいっているのか半信半疑。しかし、高強度の練習を取り入れ出すと、それまでの下地作りが無駄ではなかったことがはっきり分かりました。やれることを全てやったという感じではなく、まだまだやれる事はあったとは思いますが、自分なりに現状のピークで本番を迎えることができたのです。

前日は本番のコースを軽めに1周試走。登り区間だけ刺激を入れましたが、少し走り過ぎたかな?という印象。

「強いスプリントをする力は残っていなかった。前が開くのを待った」「強いスプリントをする力は残っていなかった。前が開くのを待った」 photo:So.Isobeそして当日、4:45起床。朝食はジャムトースト2枚、ご飯1杯、オレンジジュース2杯。アップは最初の坂を使い心拍170台まで3度ほど上げる。心拍はもう少し上げたかったけれど、時間も迫っていたのでスタート地点に。

市民50kmサーティー 落車が起こる中、竹内宏(soleil de lest)が先頭でゴール 市民50kmサーティー 落車が起こる中、竹内宏(soleil de lest)が先頭でゴール  photo:So.Isobe並び位置は50~70番手くらいだろうか、いい位置だ。カウントダウンが始まり、目をつむり集中。そしてスタート。すると直後にペースアップするが、バイパスを左折後番手を上げていき、最初の坂を30番手くらいでクリア。レース中は終始これより前の順番で走った。集団のペースは少し速かったけど、ツライ感じではない。

レース前から、水族館前の坂~天底の坂までの区間では絶対に千切れないという強い気持ちがあった。しかし、比較的落ち着いたペースだったが、この区間で少しずつ脚は消耗していたのだ。

「 ゴールラインを超えた瞬間、勝ったんだと初めて確信した。」「 ゴールラインを超えた瞬間、勝ったんだと初めて確信した。」 photo:So.Isobeそして自分にとって一番のポイントになるだろう天底の坂。手前からペースが少し上がった。登り始めて10m先くらいでアタックしているのが見えたが、反応しているどころではなく、必死に登りきる。集団後方(だったと思う)でなんとか登りきり、脚はかなり消耗した。

チャンピオンジャージに袖を通すチャンピオンジャージに袖を通す photo:So.Isobe集団内で、誰かがチームメイトに「あとはついていくだけですよ!!」と励ましているのを自分にも言い聞かせ、集団にしがみついた。この時点で先頭に残れていることに大きな満足感を感じていたが、同時に「この状態じゃ、もう勝負にはからめないな」という印象を持っていた。

このまま千切れるのを待つだけなのも嫌だったので、登り後の長い下りでアタック。でも当然すぐに吸収されてしまう。

ここから数kmの平坦区間で脚を回復したかったが、脚の状態は緩やかに悪い方向に向かっていく。そして終盤、”ジャスコ坂”を登りきる少し手前で右太ももが完全に攣った。ここまできてっ!? もってくれ!!と、右太ももを強く3度ほど殴った。すると不思議と痙攣は収まり、下りから最後の平坦路区間に入っていく。

集団の空気はかなり張り詰めていったが、その時の自分は、この時点で先頭にいることで、今までのレースにない高揚感に包まれて、楽しく、なぜか笑いそうになった。

集団は一度大きくペースを落とし、その時1人がアタック。小柄な選手だったのでスプリントを嫌っての逃げだと感じた。でも距離はまだある。そこから集団のペースは一気に上がり、残り500mで人数がかなり絞られている。

僕はスプリントだけが取り柄だと思っているので、本来は全開のスプリントをしたかったけど、この時強いスプリントをする力は残っていなかった。シッティングで痙攣しそうな脚と相談しながらも前が開くのを待つ。

先頭まであと2車身まで迫ったとき、表彰台を狙えるかも!と、この時初めて思った。50mを切っても優勝は見えていなかった。

「今ここで踏むために練習してきたんだろ!!」

一度大きく叫び、ペダルを強く踏みこんだ。最後は5人ほどが横一列になり、ゴールラインを見ながらゴール!! ゴールラインを超えた瞬間、勝ったんだと初めて確信した。

ゴール後は何度も何度も叫び、この日のために過ごしてきた1年間のことがどんどん浮かんだ。いろんなことが頭をよぎり、涙が溢れ声を出して泣いた。これ以上ない感動でした。この日の最高心拍はゴール後30秒後に記録されていました。

「自転車競技を初めて、初勝利がおきなわ。今年はこの日のためだけに走ってきました」「自転車競技を初めて、初勝利がおきなわ。今年はこの日のためだけに走ってきました」 photo:So.Isobe
自転車競技を初めて、初勝利がおきなわ。今年はこの日のためだけに走ってきました。これ以上ない結果です。勝利は最後の最後まで考えていませんでした。最後、あの中で誰が勝ってもおかしくはなかった。ただこの日は、幸運が少し僕に味方したんだと思います。

最後になりましたが、練習やレースに多くの時間を割いて迷惑をかけた、家族。soleil de l'est(自身が代表を務めるチーム)のチームメイトや仲間。素晴らしい機材をセットアップしてくれたショップInfinityの社長やメカニック、店員さん。

優勝に貢献してくれた愛車とともに優勝に貢献してくれた愛車とともに photo:So.Isobeすばらしい身体のケアをしてくださった加古川整体院の院長。至れり尽くせりのお世話をしてくださった民宿 沖縄時間のお父さんお母さん。滞在中、御一緒してくださったNASUの吉村さん、モジュマの茂越君、初出場の不安を和らげられたのは言うまでもありません。みなさん本当にありがとうございました。

そしてツール・ド・おきなわを作った関係者の方々や、レースを見れないところでも大会のため尽力されていたたくさんのボランティアの方々に最大の感謝をいたします。

次の日は100kmのコースを下見しました。来年はもっとキツイ練習をしないとダメなようです。最後にチームの宣伝を(笑)チームsoleil de l'estは兵庫県を中心にJBCF、一般レース、ツーリングなどで鋭意活動中です。そして広くメンバーを募集中です!!


使用機材
フレーム:DOGMA65.1
ホイール:light weight G3
コンポ:シマノ9070 Di2
チェーンリング:RIDEA 53-39
ハンドル、ステム:シマノPRO
サドル:fizik00
ペダル:speedplay

補給はメイタンオンリー
CC 3本(開始直前1本)
CCC 天底後にゴールド1本
ドリンクにはメイタンの電解質パウダー、2RUNを入れた

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