巷で人気のクロモリフレームだが、競技用自転車の製作を続ける工房は、そんな浮かれた流行とは関係なく、黙々と「勝つための自転車」を生み出し続けている。フォトグラファーの高木秀彰が、大阪府にm-idea(エンメイデア)の工房を訪ねた。

職人の仕事場へ

無言で鉄を溶接するビルダー。張り詰めた空気が流れる無言で鉄を溶接するビルダー。張り詰めた空気が流れる (c)Hideaki.Takagi

エンメ・イデア工房の入り口はこれ以上無いぐらい飾りっ気がなかったエンメ・イデア工房の入り口はこれ以上無いぐらい飾りっ気がなかった (c)Hideaki.Takagiバーナーの炎がサングラス越しの瞳に映る。黙々と一声も発さずに、あるときは手際よく、そしてある時は手を止めて微動だにしない。周りを見渡すと、使い込まれた工具と冶具がすべて手の届くところに置いてある。そう、工房は意外にも広くはなかった。だがその理由はあとで納得した。その空間の隅々まで、空気にさえもこのビルダーの魂が注がれていたのだ。


「鉄が好き」ビルダーが語る金属の魅力

エンメイデアの工房は、大阪の住宅街の一角にある。工房前のガラス扉に、10cmほどのロゴが貼ってあるだけ。大きな看板も派手なディスプレイもない。手前の事務室は3人座れば一杯になるほどの広さ。そしてその奥の工房も決して広いとは言えない。ちょうど製作中のフレームが1台、冶具にかけられている。

飾りっけのないガラス戸を開けて、ビルダー氏が出迎えてくれた。まずはお互いに座って話をすることに。

“M-idea”と書いて“エンメ・イデア”と読む。このイタリア語のネーミングの由来は、ビルダーの頭文字「M」と「考え、思想」を意味する「idea」を組み合わせたものだ。

エンメ・イデアで使用されているパイプ類エンメ・イデアで使用されているパイプ類 (c)Hideaki.TakagiMが刻まれたラグ 応力集中を避けるために慎重にやすり掛けされるMが刻まれたラグ 応力集中を避けるために慎重にやすり掛けされる (c)Hideaki.Takagi


火と対話するように鉄フレームに命を吹きこんでいく火と対話するように鉄フレームに命を吹きこんでいく (c)Hideaki.Takagiビルダーの経歴は後掲するが、そのなかで興味を引いたのが「鉄工所勤務」だ。ズノウ製作所とナカガワサイクルワークスでフレーム製作をするまでのあいだの期間、「鉄」を知るために勤務していたという。そこであらゆる金属に触れ、あらゆる製品をつくり、鉄への造詣を深めていったのだ。

その後再び自転車フレームの製作を開始し、延べ30年間あまり鉄フレームを作り続けている。
ビルダーを表現するならば「鉄が好き」。その言葉が的を射ている。決して饒舌というわけではない。しかし鉄とフレームの話になると、生き生きと語るのだ。

生産本数は多くはない。それは依頼者との綿密な打ち合わせから始まり、パイプカットからラグの削り出し、そして溶接、仕上げまで全て一人で行うためだ。

「たくさん売りたいのではない」そうビルダーは断言する。製作する全てのフレームに等しく高い精度を保つためには、逆に生産数を制限しなければいけないほどなのだと。現代の自転車界が向かう商業主義にまるで逆行する話だと思った。製品というより「作品」という表現が正しいだろう。

それを印象付けたのが「自分の顔や名前を出すのではない、M-ideaのフレームを見てくれ」と言われたことだ。フレームはビルダーにとっての自信作なのだ。

溶接を終えたフォークが妖しい光を放つ溶接を終えたフォークが妖しい光を放つ (c)Hideaki.Takagiラグにロウ材をまんべんなく回すラグにロウ材をまんべんなく回す (c)Hideaki.Takagi


同じ理由で、ビルダーは記事に名前を書かないでくれと頼んだ。顔写真もNG。人や名前でなく、製作したフレームで評価されたいという理由からだ。だから、ここでは氏の名前でなく「ビルダー」と記すことにする。

一通りの話が終わり、事務室の隣の工房へ足を進める。事務室の2倍くらいの空間だが、広くはない。ビルダー一人が動き回ってちょうど一杯の広さだ。そして部屋は意外にも小奇麗。壁や机には整然と工具や材料、部材が置かれている。コロンバスやカイセイのパイプが種類別にストックされている。

製作現場には必要な道具が無造作に置かれていた製作現場には必要な道具が無造作に置かれていた (c)Hideaki.Takagi部屋の中央に製作途中のフレームがある。ビルダーはサングラスをかけ、バーナーを手にロウ付けを始める。すると、さっきまでやや柔和だった顔が途端に厳しい顔になり、一心に作業に没頭する。

両手の動きはもちろん、頭や腰の動きまでもが1ミリの狂いもなく繊細でありながらもどっしりと落ち着いている。ビルダーの神経はロウ付け部分に集中しているはずだが、部屋じゅうのもの、空気までをも支配下においている錯覚にとらわれた。事前に「これからする作業は一気にやります」と言われていたが、あまりの集中の度合いに圧倒される。

やがてバーナーの炎を止めて、まだ熱で赤い溶接部分をじっと見つめる。30秒ほど動かなかっただろうか、ようやく顔を上げる。なぜだか私はそのとき、手に汗を握っていた。

このとき私は気がついた。工房が広くないのは、生産本数を絞っているので物理的に広い必要はないこともある。だがしかし、この広さはビルダーがその空気までをも支配するためにちょうど良い広さなのだ、と。

エンメ・イデアのフレームはほとんどが競輪選手、もしくはロードレースに取り組む選手のリクエストによって製作される。

自転車に乗ることを職業として、つねに勝負の世界で戦っている競輪選手たちは、自転車への要求も当然のように厳しく多い。
「そんな彼らの要求に対しても十分に意見や希望を尊重して、それぞれの選手の体格、経験、走り方や、様々な状況を考慮に入れ、なおかつアレンジし、そのうえで美しく造り上げることこそ職人たるビルダーの腕の見せどころだ」と言う。

M-idea ロードフレームとトラックフレームM-idea ロードフレームとトラックフレーム (c)Makoto.AYANO

ラグやクラウンにはMのマークを象った刻印が施されるラグやクラウンにはMのマークを象った刻印が施される (c)Makoto.AYANO強度と美しさを誇るブレーキブリッヂ強度と美しさを誇るブレーキブリッヂ (c)Makoto.AYANO


BB裏にはMの刻印とペイントが施されるBB裏にはMの刻印とペイントが施される (c)Makoto.AYANOチェーンステイのメッキとロゴの処理チェーンステイのメッキとロゴの処理 (c)Makoto.AYANO


シートチューブの処理 刻印がオリジナリティを主張シートチューブの処理 刻印がオリジナリティを主張 (c)Makoto.AYANONJS規格をクリアした最後の工房

競輪用として使用が認められるには、日本自転車振興会が定めた基準「NJS規格」をクリアする必要がある。これはパーツによって差が出ないよう、また凄まじいパワーで疾走する競輪での使用に耐えられるよう、NJS基準はきわめて高い精度や品質が求められる厳しい基準だ。つまりNJS基準を満たすということは、プロの使用にも耐えられる精度と品質を持った安心の証でもある。

エンメ・イデアがNJS登録をしたのが1997年。それから10年以上が経過するが、現在のNJS登録フレーム工房の中で、M-idea以降に新規に認定された工房は存在していない。もちろん時代の流れもあるだろう。これから鉄フレームの製作に携わる人は減る一方かもしれない。しかし、確固たる意志を持って鉄フレームを作り続ける人がここにいる。


製作時間を確保するために個別面談はしない

現在、エンメ・イデアではオーダーに関しては、以前から付き合いのある選手などの顧客を除いて、ビルダー自身が新規の個別相談を受けたり、ユーザーとの直接対応はしていない。
オーダーに関しては代理店のサイクルラインズが窓口となり、ライダーと綿密な打ち合わせを行って全ての基本事項を決め、それを基にビルダーと仕様を打ち合わせ、製作に入っていくと言う。

サイズや使用するパイプを指定するなどの具体的な要望はもちろんのこと、「もっと楽に走れたら」「もっと気持ちよく走れたら」といった、感覚的な相談にも真摯になって耳を傾けてくれるそうだ。

火と対話するように鉄フレームに命を吹きこんでいく火と対話するように鉄フレームに命を吹きこんでいく (c)Hideaki.Takagi

サイクルラインズ代表の幸壬 学(こうじん・まなぶ)氏は、かつてM-ideaのフレームを駆り、自転車競技選手としてトラックレースやロードレースに出場してきた経験者。かつてオートバイのテストライダーもつとめた幸壬氏によれば、このオーダープロセスは「ビルダーが製作に打ち込む時間を確保するため」にどうしても必要なクッションだとのこと。

幸壬氏は言う「私が選手として初めてのフレームをお願いしたのが、ズノウ製作所から独立したばかりのエンメ・イデアだったのです。かれこれ21年前のことです。脚力のなかった私にとって、"マーク"から"差し"、そしてバンク内で"自在"に動けるフレームに幸運にも最初からめぐり合えることが出来たのです。私は現在フランスのMBKの日本代理店として、日本人向けのXXS、XSサイズ等の設計に関して提案し、MBK本来の乗り味を損ねないようにジオメトリーを引いていますが、これらもエンメ・イデアとの長年の交流から得た制作ノウハウと言えます」。

幸壬氏が新規顧客から相談を受ける際は、顧客の語る感覚的な言葉から、その要求に応える最適なフレームを具体化するべく、丁寧に耳を傾けると言う。そしてそのアイデアをエンメ・イデアのビルダーがカタチにするという、長年の信頼関係が可能にするコラボレーションだ。


今やアルミやカーボンの新素材フレームなどが市場で圧倒的だ。それらのほとんどが「吊るし」のフレームと言えよう。もちろんそれがぴったり合う人もいるだろう。でも、自分の走り方、脚力、そして要望が100%に近く反映できるフレームは、「鉄」のオーダーフレームしかない。工房をあとにするとき、私はそう確信した。



photo&text:高木秀彰
photo(studio):綾野 真

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