オランダで子育てをしながら自転車レースに打ち込む2児のママ、荻島美香(38歳)。かつてロードの女子トップ選手として活躍、子育てが落ち着いてからレースに復帰。そしてシクロクロス世界選手権2009では日本人最高位をマーク。そして今年、全日本選手権ロードレースにも出場するという。

オランダでの生活と自転車レース活動、子育てと競技生活との両立。それも趣味レベルではなく、自転車選手としてトップを目指す。
荻島が日本で活躍したのは、90年代初め。子育てによるブランクを乗り越え、また現在の主婦としての生活のなかでの時間的な制約という壁を乗り越え、再び可能性に挑戦し続ける。
インタビュアーとして、かつて同じ女子選手として、海外遠征のスタッフとしてレース活動をともにした須藤むつみが訊く。

愛美ちゃん、太郎くん、シャークさんと荻島美香 愛美ちゃん、太郎くん、シャークさんと荻島美香 

須藤:会うのは本当に久しぶりですね、何年ぶりでしょうか?

荻島:2000年が最後かな? オーストラリアの遠征に一緒に行きましたね。その後、2000年の6月にドイツに渡って、それで帰り際に転んで。肋骨やっちゃって。全日本選手権(ロードレース)を1周でやめて。確かその時に会ったのが最後だったかな。

須藤:そうだそうだ、その後はドイツのチームに加入して走っていたんですよね。

荻島:チーム・シュトゥットガルト に1ヶ月所属させてもらって。その時はイイ感じで走れていたんだけど。そしたら・・・コケちゃって。崩れ去りました(笑)。

須藤:その前にもドイツのチームにいたよね?ほら、ハンカ(※)と一緒の...。
※ハンカ・クプファーナゲル(ドイツ):4度世界チャンピオンに輝いたシクロクロスの女王と呼ばれる選手。2007年世界選手権ロード女子個人タイムトライアルチャンピオン他タイトル多数の名選手。

荻島:ああ、それは1997年かな。

須藤:10年以上前にハンカと一緒のチームにいたのかぁ。彼女も今年のシクロクロス世界選に出てますね。あの時のメンバーがまだ強いままで走っているっていうのが面白い。

荻島:あの頃からの選手って、今でもまだバリバリ強い人がたくさんいますよ。だって、あのチームってドリームチームだったもんね。イナ・ヨーコ・トイテンベルグしかり、その時のメンバーは、ほとんどまだ女子自転車レース界のトップにいます。

須藤:私は以前オーストラリアの遠征にマネージメントスタッフとして行ったんだけど、ターニャ・シュミットっていう選手と一緒になった。そのとき彼女が「ミカとドイツで同じチームで、仲良くしていたんだ」って言ってた。

荻島:彼女、まだ走っています。強いよ!ロードで走ってて賞金稼いでいるよ。

須藤:そうかそうか。それで、2000年にドイツに行ってから、全日本のために日本に一回戻ってきてから、それで、ロードレースは走らなくなった?

荻島:ロードはやめました。

須藤:で、やめて、その後は?

オランダでシクロクロスシリーズを走るオランダでシクロクロスシリーズを走る 荻島:その年の冬にはオランダに来て。で、2001年のタボールのシクロクロスが最後でした。

須藤:タボール大会に出てからは?

荻島:2001年の3月にはもう、本格的にオランダに渡りました。

須藤:その時に(ご主人の)シャークさんとすぐ結婚した?

荻島:いや、「子供ができたら入籍しようね」という感じだった。でも即、子供ができちゃた。

須藤:オランダって籍を入れてなくても大丈夫なの?

荻島:オランダはパートナーシップ制度みたいなのがあって、結婚しなくてもシステム的には大丈夫なんです。結婚しててもしてなくても、保険もいろんな制度も、そんなに変わらない。

須藤:ヨーロッパの他の国でも、同じような制度があるんですか?

荻島:(隣にいるご主人のシャークさんにオランダ語で確認)・・・そう、ベルギーにもドイツにも同じような制度がある。オランダはほとんどがOK。でももしかしたら、パートナーシップ制度はオランダだけかもしれない。

須藤:じゃあ、周りにも結婚してなくても子供がいるという人もいるのかな?

荻島:いるいる。いっぱいいる。

須藤:それで、子供ができてしばらくレース出場をお休みしてて。結局何年まで乗ってなかった?

荻島:まあ、たまには乗っていたけど。でも、たまに乗るとしんどくて、しんどくて(笑)!

須藤:自転車には乗ってはいたんだ~。

荻島:でもサイクリング程度。もう全然乗ってなくて。トレーニングどころじゃなかった。
2001年の夏に妊娠して、太郎が生まれて。で、その後月に一回ぐらいちょこっと乗っていたかな? 太るのがイヤでランニングとか水泳も始めて。その後にスグ愛美が生まれてね。愛美が生まれてから一ヶ月後に、また水泳始めたんだけど、泳いでいたら平泳ぎのオジサンに胸蹴られて! それで(骨に)ヒビ入っちゃって!

須藤:ひえーーーー!!

荻島:その時っていうのが愛美が3ヶ月だったのに(胸の怪我で)痛くてダッコ出来なくてー。だから助けを呼んで友達の娘にベビーシッターお願いしたの。もう、それからは水泳行くのやんなっちゃった(笑)。

須藤:懲りちゃった(笑)。

荻島:そうそう、懲りちゃった。で、ランニングを始めたんですよ。それでハーフマラソンに出たり、10kmマラソンに出たり。10kmマラソンって、ちょうど40分ぐらいなんですよね!

須藤:なるほど40分といえばシクロクロスの女子レースと同じレース時間だ!

荻島:そう、それでその頃に丁度、シャーク(夫)がインターネットの無制限接続サービスに入ったから、ネットをいろいろとやって、日本のシクロクロスのリザルトをチェックしていたの。そしたら「出てないじゃん誰も!」と思って。(森田)正美さんとかも出てないし。その頃(ランニングで)40分苦しい思いしてたから「もう一回出来ちゃうかな?」って軽い気持ちで。本当に甘く考えていた。あまーくね。そして、スグに大山さん(日本シクロクロス競技主催者協会・座長)に連絡して。「やりますんで、よろしくお願いします」って。

須藤:うわー、そうだったんだ!

荻島:もう大恥ですよー、大恥(爆笑)

須藤:それを連絡したのがいつ頃なの?

荻島:うーんと...2005年の9月中旬。その時にシャークにも事情を話した。そしたら「やればいいじゃないか!」と。

須藤:へぇー。結構乗り気だったんだ。

荻島:そう。「今、日本人(女子のシクロクロス出場選手が)誰もいないんだよね」って。「もしかしたら、(シクロクロス)世界選に出れちゃったりして」とか言っちゃったりしてー(笑)

須藤:ノリとしては結構、軽め。

荻島:うん、軽いノリ。そして地元(オランダ)のレースに出始めて。11月に(オランダ開催の)ワールドカップに申込みをして。

須藤:え? 復帰したその年の? 2005年11月の?

荻島:そう、乗り始めたのが9月の中旬で、その2ヵ月経ってないときにワールドカップに出て。そしたらハンカにラップされたんですよ! 私、それまでハンカにラップされたことなかったのに! それが物凄いショックで...。
その後に大山さんに連絡したんですよ。「無理なので世界選、ヤメさせて下さい」って。世界選での自分の走りが見えちゃったんですよね。だからその年の世界選は辞退した。「私を含めないで下さい」って。だって、考えてみてくださいよ、9月の中旬に乗り始めたばっかりで...。

須藤:で、11月のワールドカップに出たのも十分凄いことだと思うけどね。

荻島:まあね(笑)。でも(翌年2月開催の)世界選まで4ヶ月もないんですよ。で、大山さんに連絡をしたら「いや、まだ4ヶ月あるから!」って言うんですよー(笑)!

須藤:そんなこと言うの!

荻島:「そのまま、行ってください」って! 困ったから「いやあ、ワタシそんなの無理です」って言ったの。そんな完走出来るかどうかの走りではね。出来れば翌シーズンの次の世界選にトレーニングを積んでから出たかった。「その時の自分も見えちゃってたし」って言ったんだけど、「それでも出て!」って言われたから出場して。それがオランダのゼッタムの世界選ですよ。

須藤:うわあ。そうだったんだ。

荻島:それで...その(世界選の)2週間前にコケて、膝をひどく負傷して。で、だけどしょうがないって押して出て。さらに公式練習の時にもコケて。で、肋骨やっちゃって。その肋骨痛いまま痛み止め飲んで出場して。で、やっと完走したんですよ。

須藤:うわー。それでも完走はしたんだ。スゴい。

荻島:そう、完走は出来たんです。その時に「ああ、もうこれ以上酷いことはないだろう」と。だって膝は凄い怪我してるし、肋骨もやっているし、練習なんか4ヶ月だし! これが最低だから、これ以上「下」はもうない!って自信持ちました。

須藤:そうか、逆にそうなったんだ。でも、ハンカにラップされた時に「ラップされたし、もうヤメよう」という選択肢はなかった?

荻島:だから、レースはオカネもかかるし、それで世界選もやめて...と思って連絡したんです。でも、その世界選で「底」が見えたから。これ以上悪いってことはないだろうと思ったから。「あとは行ける!」と。まあ、どこまで行けるかは私も分からないけれど(笑)。

須藤:4年もブランクがあって、身体もそうだろうけど、バイクも何も準備はイチからやり直し?。

荻島:レース用の自転車は現状あるものでガマン。古いものをそのまま使っていた。靴も10年もの、ロードバイクも16年もので、シクロクロスバイクも9年経っていたしね。
で、翌年のベルギーの世界選の時に、とりあえず去年よりはマシだと思って走ったんだけど、部品が古くてね。「とにかくゴールするまで壊れないでね!」ってお願いしながら走っていた。
でも、肝心な時に結局、いきなりギアが動かなくなって...。で、ピットで取り替えた伊澤選手の自転車を借りたんだけど、ソレの方が良かった(笑)!「なんだ!自分の自転車よりいいじゃん!!」ってね。でも、ないもんはしょうがないもんね、って。

須藤:じゃあ、そんな状態だから資本は「自分だ」って感じだろうね。それで、専業主婦として2人の子供を育てながらのトレーニングはどうやってこなしていたの?

愛美ちゃん、太郎くんと荻島美香愛美ちゃん、太郎くんと荻島美香 荻島:オランダって低学年の子供だけをおウチに置いていけないんだよね。確か11歳とか12歳まではね。逆に12歳以上になると子供自身がベビーシッターをできるんだよね。

須藤:そっか。じゃあ、子供だけ置いていかなきゃいけないときはベビーシッターを頼んだりするのかな。

荻島:そう。だからまだ2人とも学校に行ってなかった頃はシャークが仕事から帰ってきたら子守を交代して。練習を始めたばかりの時は1人で行ってたの。仲間もいなかったし、シャークが帰ってきてから練習に出ていたから、夜からでは時間も短かったし。夜10時に練習に出ていたこともあった。

須藤:練習内容はどうしていたの?

荻島:自分で考えて。インターバルとか坂道とかいろいろ考えて。

須藤:そうして外を走っているうちに、知り合いもできた?

荻島:だんだん、ね。「どこそこで練習やっているから来いよ!」みたいな感じでね。

須藤:練習メンバーって、どんな感じ? 美香ちゃんのブログ読んでいると、いつも「おじさん達と走ってる」って書いてあるよね。

荻島:そうそう!オランダはおじさんサイクリストが多いねー。おじさんパワーでね!

須藤:そのおじさん達の練習ペースってどんな感じ? いいペースって感じかな?

荻島:いいペースなんてもんじゃなくって、トレーニングペースで時速32~33kmで走りますよ。

須藤:練習っておじさんばかり? 女子選手とかは?

荻島:いないんだなぁ。私の周り(オランダのOss周辺)にはいない。女子で競技している人もいないし。

神宮外苑クリテリウムではぶっちぎりで逃げ切り優勝神宮外苑クリテリウムではぶっちぎりで逃げ切り優勝 (c)Hideaki.TAKAGI須藤:そうそう、神宮クリテに出場したとき、レース中に着ていたジャージはオランダのチームジャージ?

荻島:今、私がお世話になっているスポンサーのジャージ。

須藤:オランダでの所属チームとは違うの?

荻島:そう、私がいま所属しているオランダのチームのジャージは別にあるんだけど。オランダでは競技に出るのに、どこかのチームに所属していないとダメだからね。でも、そのチームジャージは着ていない。その辺りはうるさくなくて、何でもアリなんだよね。

須藤:今はどんなスポンサーがついているの?

荻島:1つは自転車屋さんと、道路整備会社と。あと職業コンサルタントみたいな会社の3つ。

須藤:凄いね。でもスポンサーのためにも調子をキープするのって大変でしょ? 子供が病気しちゃったり...。

荻島:子供が吐いちゃったり熱出したりするし、大変だよね。私も調子をコントロールするのが難しい。復活してから2年目の時に、私は年に5回も熱出しましたよー!

須藤:子供から病気をもらっちゃったりして?

荻島:違うの。練習やり過ぎちゃって。歯止めが効かなくて(笑)。昔の自分が忘れられなくて。「自分はこうじゃない、自分はこんなはずじゃない!」とか思って、前の感覚で全部やっていたから。熱ばっかり出て、トレーニング出来なくて体力後退してて。それで気づいたんですよ。「昔の感覚は一回捨てよう!」と。「昔の自分はもういない」って。今は子供がいるし、自分も歳とったし、昔と同じことはもう出来ないのは事実だし、違うやり方でいかないといけない!っていうことを悟った。

須藤:そうやっていくと、今のおウチの環境と自分の状態とをあわせられるようになった。

荻島:うん、なった。自分がどこまでやっちゃったら病気するかもっていう「身体の声」を聞ける様になった。「この信号はなんだ?」っていう感じで。

須藤:レースの時とか、カッコイイでしょ、美香ちゃん。シャークは元選手だから分かっていると思うけど、子供たちの反応ってどう?「レースに出ているママってカッコイイのよ!」とか言うでしょ?

荻島:そうそう、私がレースに出て帰ってくると子供が聞くの。「ママ、今日は花束ないの?」って!(笑)

須藤:そっちなのか(笑)

荻島:そうなのよ。で「ママ、頑張ったんだけど今日は花束ないの」ってね。

須藤:子供達はレースに応援によく来るの?

荻島:近くで開催のクリテリウムとか、シクロクロスには応援に来てくれる。ハリーがまだいなかった時とか。

須藤:ハリーさんって、美香ちゃんのサポートにマメに来る方よね。どんな方なの?

荻島:彼はオンシーズン中は、別の女子チームのスタッフをしていて。で、そのチームにいる外国から来ている女子選手たちを住まわせて、レースに連れていってあげたりしている。そしてオフシーズンになると私のお世話をしてくれるの。だから私のサポートをしてくれるの。

須藤:サポートといえば、自転車のサポートも受けているよね。

荻島:そうなんですよ。サイクルファクトリーARAIさんからMURACA(ムラーカ)のシクロクロスバイクをサポートしていただいているんです。凄くいいんですよー。それとライトウェイプロダクツジャパンさんからもいろいろなパーツなどをサポートして頂いています。

須藤:ブログで読んだ!ReSKINだよね。あれってどう?

荻島:私の場合、ちょっといつもお股が擦れて痛い箇所ってあったんですよ。って写真では見せられないけど!(爆笑) で、その箇所にReSKINを貼っておくと、即効性はないけど、直接皮膚が擦らなくなっていくから治っていくんだよね。女性で同じような症状のある人は多いと思うので、オススメですよ。私は愛用してます。

須藤:ほかにも今シーズンからヘルメットとペタルもサポート受けるって聞いたけど。
ライトウェイプロダクツジャパンからクランクブラザース・エッグビーターペダルのサポートを受けるライトウェイプロダクツジャパンからクランクブラザース・エッグビーターペダルのサポートを受ける
荻島:そうなんです!ライトウェイさんから2009シーズンからBBBヘルメットとクランクブラザースのエッグビーターペダルもサポートしていただきます。

須藤:これも、復帰してからコンスタントに成績をあげているからだよね。

荻島:タイヤとかは自分で買ってますけどね。凄く助けられております。

須藤:オランダの道路ってあまり大きい山ってなかったような記憶が...。

荻島:そうなんですよー。小高い丘とかはあるけど。だからシクロクロスをやるには最高。クロカンスキーにも向いているかも。それに馬も歩いているね、街中でテクテク。

須藤:そうだった! 朝早くだと普通にアスファルト道路を歩いているんだよね。

荻島:しかも糞も道路に落としていくのよ、ボトボトって(笑)。最初は湯気がたっているんだけど、それが凍ると石みたいになってカチカチ。コレは必ず避けて走ります(笑)!

(Vol.2へつづく)

全日本選手権に挑戦


荻島美香選手が、6月28日に開催される全日本選手権ロードレースのために急遽帰国し、出場することが決定した。38歳にして全日本タイトルに挑む2児のママは、この全日本への出場について、自身のブログの「全日本選手権に出ます。」という6月13日のエントリーのなかで次のように綴っている。

「試させて下さい。自分がどれだけ出来るかを...。2000年のシドニー五輪の予選以来です。1994年のアジア大会、2000年の全日本も広島だった。そして、2009年の全日本も広島...。もちろんこの年だし、ばくちに近い。でも、やりたいの。私がやって来たことが間違いでない事を自分で確認したいの。

それに多分、これが私の意志で出る日本の最後のレースになるかなぁ。シクロクロスのタイトルのシーズン半ばの帰国は、この年の私にはリスクが大きすぎるし、シーズン後半と世界選に影響を受ける可能性があるから取りに行く事は考えない。そこまで積み上げた体調をガタガタに崩したくはないし、リズムを崩して元に戻す大変さを忘れていないから。

どうなるか分からない広島での走りをとっても楽しみにしています。その前に絶対にケガをしないことが、私自身の約束。それは、五輪予選とかの大事なレースにまともな体で出たことがないから。

こんな私ですが、応援して下さい」。


荻島美香(ARAI-MURACA)
1971.2.12生まれ。身長171cm、体重58kg、血液型O型。
主な成績
1994年アジア大会4位、1996年全日本選手権個人タイムトライアル優勝、1997年 ツール・ド・フェミナン出場(日本人初)、'99年全日本シクロクロス選手権優勝他多数。
シクロクロス世界選手権は、2000年23位、2001年21位、2006年41位、2007年40位、2008年31位、2009年22位。

2001年にオランダ人の元自転車選手シャーク・ファンデルループさんと結婚し、オランダ在住。2児の出産を終え、2006年にレースに復帰。本場オランダで子育てをしながら自転車レース参戦を続けている主婦ライダー。

オランダでの子育て&自転車レース生活をブログ「2児のママ、自転車オランダ便り」に綴る。


取材協力:ライトウェイプロダクツジャパン

text:Mutsumi.Sudou
photo:MakotoAYANO