リカルド・リッコ(イタリア、ヴァカンソレイユ)が再びレース界のドーピング問題に火をつけた。2年半前にCERA(第3世代EPO)でレース界を揺るがした27歳は、血液ドーピングに手を染めたことを告白。反省無しのリッコの態度は、ドーピングに対するレース界の寛容な姿勢に疑問を投げかける。

2008年ジロ・デ・イタリアで総合2位に入ったリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット)2008年ジロ・デ・イタリアで総合2位に入ったリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット) photo:Cor Vosイタリア・モデナ出身の27歳リッコは、現在入院先の病院で治療を続けている。腎臓の機能不全により病院に担ぎ込まれたリッコ。自分で行なった血液ドーピングが原因であることを医師に打ち明けたとガゼッタ紙は伝えた。幸いリッコは快方に向かっている。

現在リッコが入院するバッジョヴァーラ病院の担当医は報道陣に対し「全体的に状況は回復傾向にある。それ以上の情報は開示できない」とコメントしている。

2008年のツール・ド・フランスでステージ2勝の活躍を見せたリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット)2008年のツール・ド・フランスでステージ2勝の活躍を見せたリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット) photo:Cor VosリッコのCERA陽性が判明し、レース界を揺るがしたスキャンダルからまだ2年半しか経っていない。レース界のドーピングに対する自浄作用が機能しなかったと言う他ない。

レース界はこれまで散々リッコに振り回されて来た。リッコは2008年のジロ・デ・イタリアでステージ2勝し、総合2位、新人賞獲得という好成績を残し、その1ヶ月後に開幕したツールでもロケットのような勢いでステージ2勝を飾った。

2008年ツール・ド・フランスで警察に連行されるリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット)2008年ツール・ド・フランスで警察に連行されるリカルド・リッコ(イタリア、当時サウニエルドゥバル・スコット) photo:Cor Vosちょうどその頃「あいつはドーピングしている。近いうちに逮捕されるだろう」という噂話が現地のジャーナリストの間で飛び交っていた。リッコのCERA陽性が発覚したのは、2勝目をマークした第9ステージの3日後だった。

20ヶ月の出場停止処分を受けたリッコは、昨年イタリアのチェラミカ・フラミニアにて復帰。当時「ネオプロのような謙虚な気持ちを忘れずに、毅然とした態度でレースに挑みたい」と語っていたリッコは、復帰直後のセッティマーナ・ロンバルダでステージ2勝を飾って健在ぶりをアピールした。

リッコのレース復帰を快く思っていない選手は、プロトンの中に少なからずいた。「リッコの復帰はパラサイト(寄生虫)が戻ってくるようなものだ」と痛烈に批判したのはマーク・カヴェンディッシュ(イギリス)。「リッコは自分の過ちについて謝罪していない。まるでそんなことを気にしていないかのように。」結果的にカヴェンディッシュは正しかった。

ステージレースで勝利を重ね、UCIポイントを量産していたリッコにヴァカンソレイユが2011年シーズンの契約オファーを持ちかけた。当時プロコンチネンタルチームとして活動していたヴァカンソレイユは、プロチーム入りを目指してリッコとエセキエル・モスケラ(スペイン)を相次いで獲得。その両者のUCIポイントが功を奏し、同チームはプロチームライセンス獲得に成功している。

なお、モスケラは2010年ブエルタ・ア・エスパーニャ(ニーバリに次いで総合2位)期間中のドーピング検査で陽性に。他の薬物の効果を隠すマスキング剤として知られるヒドロキシエチルスターチの陽性反応が検出された。しかしヒドロキシエチルスターチはWADA(世界アンチドーピング機構)の禁止薬物リストに入っておらず、モスケラは処分を受けていない。

リカルド・リッコ(イタリア、ヴァカンソレイユ)リカルド・リッコ(イタリア、ヴァカンソレイユ) photo:Cor Vos世界トップカテゴリーであるプロチーム入りを果たしたヴァカンソレイユは、グランツールへの出場切符を同時に得た。つまり、2008年大会に泥を塗った張本人であるリッコがツールに出場可能となった。

先月、リッコはこんなコメントを残している。「観客や世論が徐々に僕の味方についてくれることを願っているよ。とにかく今はトレーニングに励み、レースで結果を残したい。」

トレーニングキャンプに参加したヴァカンソレイユの選手たちトレーニングキャンプに参加したヴァカンソレイユの選手たち photo:Cor Vosだが、そんな言葉の裏で、リッコは輸血によるドーピングに励んでいたとされる。リッコは新鮮な血液が必要な時に備え、自ら血液を採血し、それを冷凍庫に保存。トレーニング後、疲労を感じた際に輸血した。その行為がリッコのカラダを蝕んだ。

40度の発熱と激しい腹痛を訴えたリッコは、先週日曜日に地元パヴッロの病院へと搬送。しかし病状が悪化したため、モデナの大病院へと移された。パヴッロの病院を出る前に、リッコは医師に自分の過失を認めた。

医師は捜査員に対してこう証言したと伝えられている。「彼は自分の判断で採血し、自宅の冷凍庫で25日間保存していた血液を輸血した。彼は血液の保存状態の悪さを心配していたようだ。」

一連の報道を受け、CONI(イタリア五輪委員会)は調査を開始。イタリア警察はリッコ自宅の家宅捜索を行なった。捜査の結果はまだ発表されていない。

リッコのカムバックを容認した寛大なレース界。ドーピング違反者への罰則を見直す時が来ている。リッコが再びツールに激震を走らせる可能性も充分に有った。

「今となっては、出場停止処分なんて必要ない。それよりも、違反者から出場ライセンスを取り上げて、永久にレースに戻れないように破り捨てるべきだ。レースで速く走るためにEPOを使用する選手は、レースに値しない。もう辞めてほしい。」昨年ブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝に輝いたヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス)は切実な思いを打ち明ける。

過去にドーピング違反を冒した選手は、リッコの他にも続々とレースに復帰している。2009年にEPO陽性が発覚したダニーロ・ディルーカ(イタリア)は、カチューシャのメンバーとしてチャレンジ・マヨルカでレースに復帰。2008年の北京オリンピックで同じくEPO陽性となったダヴィデ・レベッリン(イタリア)は5月のレース復帰を目指している。

今回の一件により、UCI(国際自転車競技連合)はより厳しいスタンスでドーピングに立ち向かうことになるだろう。罰則強化の動きが強まるはずだ。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji

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