1983・1984年のツール・ド・フランス覇者ローラン・フィニョンが8月31日死去した。50歳だった。

フランス人のツール・ド・フランス覇者が癌で世を去った。フィニョンは近年フランス・テレビジョンのコメンテーターなどとして活躍していたが、2009年6月に末期癌に冒されていることを告白。闘病生活を送っていた。

1983・84年ツール・ド・フランスを制覇したローラン・フィニョン(フランス)1983・84年ツール・ド・フランスを制覇したローラン・フィニョン(フランス) (c)CorVosフィニョンは7月にはツール・ド・フランスの会場に顔を見せるなどしていたが、8月31日未明、死去した。

プロ選手時代はポニーテールに丸眼鏡をかけた風貌と、バカロレア資格をもっていたことで「教授」というニックネームをもっていたフィニョンは、ツール・ド・フランスを83年と84年に連覇。83年の総合優勝はツール初出場での勝利だった。フランスチャンピオンでもあった84年は、第7・16・18・20・22ステージでステージ優勝を挙げての総合優勝だった。

その後膝の故障に泣かされ、不発の年が続くも、1989年にはジロ・デ・イタリアを制覇。ダブルツールを期待されて臨んだツール・ド・フランスでは最終日のシャンゼリゼでの個人タイムトライアルでグレッグ・レモン(アメリカ)に8秒差で逆転勝利をさらわれている。

他にメジャー勝利として1986年にフレッシュ・ワロンヌ 優勝、1988・1989年にミラノ~サンレモ優勝などを挙げている。

フィニョンは現役生活中に薬物を使用していたことを認め、それが癌の発生に影響したのかもしれないと告白していた。