2008年末に来日したツール・ド・フランス総合ディレクターのクリスチャン・プリュドム氏とエキップアサダ監督の浅田顕氏の対談が実現。ツールを目指す浅田監督と、アジア自転車競技の発展を感じたプリュドム氏。ツールに出場するために必要なこととは。日本の自転車競技の未来を考えさせる対談をどうぞ。

【まずは自己紹介から】

浅田彰(エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザイン)とクリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター)浅田彰(エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザイン)とクリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター) 浅田顥(以下、浅田):ただいま41歳、現在は「ツール・ド・フランス」への出場を目標にしたチーム「エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザイン」の監督をやっています。昔は日本とフランスでプロとして選手生活を送っていました。フランス時代は1991年パリ~ルーベ勝者で、フランセーズデジュチームの現監督マルク・マディオがチームメイトでした。A.S.O.の社員の方々の中には元選手が数名いらっしゃいますが、彼らが現役時代は一緒に走っていた事があります。

その後にチームの運営&監督業にまわり選手をサポートする側となり、2009年にはA.S.O.主催のレース「ツール・ド・カタール」にも出場致します。プリュドムさん、招待してくださってありがとうございます。ツール・ド・カタールには最高の布陣で望みます。

クリスチャン・プリュドム(以下、プリュドム):ツール・ド・フランス主催団体であるA.S.O.(Amaury Sport Organisation)所属、ツール・ド・フランスのディレクターで、18年間テレビジャーナリストをやっておりました。浅田さんよりちょっと歳をとっており(笑)、48歳です。

ESJ(Ecole Superieur Journaliste)を卒業。1990年に日本の世界選手権を取材(前橋、宇都宮)、90年代はイタリア&フランス合弁テレビメディアのLa Cinqではスポーツ部長として活躍し、現場の記者もやっていました。その後EUROPE1のスポーツ記者を経て、A.S.O.が所有するスポーツ新聞レキップ誌のテレビ版、レキップTVで働き始めました。
仏国営放送のFrance2の番組”Stade2”(日曜夕方に放映の人気スポーツ番組)のコメンテーター&総合編成部長を行ってから、2005年からはジャン・マリー・ルブランの後継者としてツールドフランスの総合ディレクターになりました。

【日本の自転車競技の印象】

プリュドム:ピスト=競輪が印象的です。なんと言っても世界戦10連覇の中野浩一さんの印象は強烈です。70年代にはフランスにも良いチャンピオンがいましたが、中野さんには全く歯が立たなかった。ですから日本人自転車選手のことは「競輪」という印象が強いです。そして現日本代表総合ディレクターのフレデリック・マニエがピスト競技出身だったということも、この印象付けに一役買っていますね。1990年の前橋での取材でもピスト競技を見ているしね。

誠実な、しかし断固とした態度で語りかけるプリュドム氏。テレビ映えもいい誠実な、しかし断固とした態度で語りかけるプリュドム氏。テレビ映えもいい 宇都宮ではロード競技を観戦しています。そのときはLa Cinqというイタリア&フランス合弁のTV局の記者として来日したんです。このLa Cinqというテレビ局にはフランスの有力政治家や現イタリア首相のベルルスコーニも絡んでいたんですよね。La Cinqは欧州での1990年世界選手権のTV放映独占権を持っていました。

日本のロード競技界の印象としては1996年のツールドフランスに出場した日本の選手、そうそう今中大介さんにフランスでインタビューをしたんですよ。昨日ちょうどお会いしました。しかし彼もいろんな記者にインタビューを受けていた関係か、私の事は覚えていませんでした(笑)。

日本の自転車界は新時代に入っていると思います。新城幸也選手がフランスのチームに入った事はその象徴的な出来事です。近いうちに彼はBboxブイグテレコムで結果を出す事になるでしょうし、フランスでの存在感は増すのは間違いないと思います。今までの成績を見ているとそれは明白というのが率直な予想です。

「エキップアサダ」のプロジェクトはツールに向かって突き進んでいるし、そしてスキルシマノも徐々に成長している。1年後?3年?5年?10年、どのぐらい掛かるかは何とも云えませんがツール出場に向けて日本人は着々と歩んでゆく事でしょう。これらの人々は一歩一歩着実に実力を固め、実績を挙げて確固たるものをそれぞれが構築しています。この人々が根気よく着々とツールに向かって行く精神、哲学、熱意に私は非常に感銘を受けています。

よく私の所に来て「ツール・ド・フランスに出たい!すぐに出して欲しい!」と云うチームもあるのですが、それは不可能です。なぜならばツール・ド・フランスはスポーツとして、クオリティを下げる訳には行かないのです。ですから「エキップアサダ」やその他いろんな国のチームが、一歩一歩地に足の着いた実力を積み重ねてゆくのが、ツール出場に向けての正しいステップといえるのではないでしょうか。

【アジアの自転車競技の印象】

ロンドンでツールのグランデパール宣言をするクリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター)ロンドンでツールのグランデパール宣言をするクリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター) プリュドム:まず「ツール・ド・ランカウイ」。誕生してから着実に成長していますね。そして宇都宮の「ジャパンカップ」ですよ。特に私が初めて日本に来たのが1990年の世界戦だった訳ですが、前橋のトラックコースと宇都宮のコースはその世界選手権のために作られた。これはものすごい事ですね。強烈な日本人による自転車競技への熱意を感じます。世界選手権のあとも前橋では競輪、宇都宮ではジャパンカップが毎年行われているのは非常にすばらしい事です。

このようにアジアの各地で、独自のレースがそれぞれの陣営で一つ一つ成長し盛り上がっている。これはすばらしい事です。というのも各地で行われるレースがそれぞれ成長し、それらがクモの巣のように繋がり自転車レースの文化、システムが完成してゆくものです。

一方、もう一つ大事なのはトレーニング&選手育成のシステムが構築される事ですね。フランスには良い例があります。10年前のフランス水泳界は全くと云っていい程強くなかったんです。そこでフランスは水泳界を強くするために何を行ったか?まず”選手育成のシステム”を構築したんです。そのあとはちょっとはしょりますが、結果としてマノドゥ(女性)という世界チャンピオンが誕生したり、100メートルの五輪チャンピオンが誕生しました。


【トレーニングシステムの重要性】

浅田彰(エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザイン)浅田彰(エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザイン) 浅田:トレーニングシステムに関しては、欧州と日本の間には大きな格差があります。私は10年前からツール・ド・フランスを目指し始めました。まず始めに私がしたことは、より多くの自分のチームの選手達をフランスのローカルレース(=アマチュアの一般クラス)に送り込むことです。既にそれらの選手達は日本では各地域のチャンピオンだったり、日本チャンピオンだった者もいます。

しかし日本チャンピオンという肩書きは全く意味をなさず、フランスでは全く歯が立たなかった。たとえUCIカテゴリーが同じレースでも、日本とヨーロッパのそれでは全く別物なんですね。欧州では15歳ぐらいから競技を始め、レジオナル、ナショナル、エリートと徐々に上へと上がって行ける確固たるシステムが存在します。しかし日本にはそれがなく、日本でトップになってそこから本場のプロのレースに挑戦しようとしても埋め難い本場との段差が出来てしまう。

その段差を作らないためにも競争が激しい中多くを学べるフランスのカテゴリーシステムへ選手を送り込んだのです。フランスでエリートまでのし上がった日本の選手達は、日本に帰ってくると無敵です。日本のレースで勝ちまくって、経験をさらに積みその上に上がってゆくし、彼らが日本のレースレベルを向上させる事が可能になります。

新城幸也と宮澤崇史の2人のエースを欧州に送り出した。心境は複雑だった新城幸也と宮澤崇史の2人のエースを欧州に送り出した。心境は複雑だった その彼らがさらに海外でと羽ばたいてゆく。その結果として別府史之の欧州での活躍、そして我がチームは新城をBboxブイグテレコムに送り出せた訳です。しかしその環境だけでは世界のチャンピオンを輩出することは出来ません。トレーニング理論や育成体制面を充実させるという大きな課題が日本にはあります。

プリュドム:浅田さんの言う通りですね。しかし一点感銘を受けたのは、浅田さんが10年前からツール・ド・フランスを目指して活動しているということです。特にツール・ド・フランスという目標を掲げて組織的に活動をしているのは、私としてもうれしく感じます。個人でツールを目指す方々には出会いますが、それと比べて実現へのリアリティは大きなものだと思います。

【国際化の進むツールとエキップアサダ】

15~20年前は自転車ロードレースはまだ国際的なスポーツではなかった。欧州の5カ国ぐらいでのみ行われていたスポーツなんですね。しかし近年はアメリカ、オーストラリア、イギリスと国際化が広がってきて、今はようやくアジアにも広がってきて日本がドアをようやくドアを開け始めました

浅田:日本だけでなく、ウチのチームには韓国人の選手も居るんですよ。彼らからウチのチームに来て欧州で走りたいと言ってきてくれたんです。

プリュドム:そういえば、2009年からは韓国でもツール・ド・フランスの放映が始まるんですよ。

「夢へ」。エキップアサダの夢はただツール・ド・フランスを走ることだ「夢へ」。エキップアサダの夢はただツール・ド・フランスを走ることだ 浅田:そうなんですか!それはすばらしいですね。2009年のエキップアサダには韓国人選手が2人、ツール・ド・韓国の全7ステージ中、5ステージで勝って総合優勝を決めたパク・ソンベクと、メルボルンの世界戦で銀メダルを取った選手がいます。彼らは自ら韓国を去ることを決め、うちのチームに入って一緒にツール・ド・フランスを目指すことを強く希望してくれています。特にパク・ソンベクは韓国のスター選手なので、移籍にあたっては非常にたくさんの調整が必要でしたが(笑)。彼は「ツール・ド・カタール」にも出場する予定ですよ。

プリュドム:パク選手は何歳なんですか? 23歳ですか。これからが楽しみな選手ですね。

(ここでプリュドム氏、エキップアサダの広報誌”Abloc”を手に取り読み始める)

プリュドム:これは何ですか? 広報誌ですか。年に2回出しているの? きれいに出来ているね。"Abloc"(フランス語で「限界まで力を出し切れ!」の意)って名前もいいなぁ。どっち側から読むの? 左から? じゃフランスの本と同じだ(笑)。

浅田:やはりウチはツールを目指すチームと云うことで、フランス流に作っています。これはウチのチームの後援会さんの協力によって作成されているんですよ。日本での自転車普及にも役立っていると思います。

プリュドム:後援会のスタッフは何人ぐらい居るんですか?300人ですか、すごいね!



<後編へ続く>

translation:山崎健一 
photo&edit:綾野 真