競技生活最後のツールを走るスパルタクスに用意されたのは、故郷ベルンの石畳と家から数kmという地点に引かれたフィニッシュライン。しかし夢物語はそう簡単には実現しなかった。



ツール第16ステージはスイスのベルン旧市街の石畳区間を登るラスト2kmを経てフィニッシュへツール第16ステージはスイスのベルン旧市街の石畳区間を登るラスト2kmを経てフィニッシュへ photo:Makoto.AYANO
フランスからスイスへ。休息日を前にした長距離ステージは途中からスイスに入国し、ファビアン・カンチェラーラの故郷ベルンへと向かう。今季限りの引退とこれが最後のツールと決めているカンチェラーラ。主催者A.S.O.は、今までに通算29日間マイヨ・ジョーヌを着た時代の王者に敬意を表し、ベルンのフィニッシュと休息日での滞在を用意した。

故郷のスイス・ベルンにフィニッシュする意気込みを話すファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)故郷のスイス・ベルンにフィニッシュする意気込みを話すファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード) photo:Makoto.AYANO
ファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)のバイクにはパリ〜ルーベで使うFMBの25Cタイヤが貼られていたファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)のバイクにはパリ〜ルーベで使うFMBの25Cタイヤが貼られていた photo:Makoto.AYANOベルンフィニッシュの実現にはサイクリングがこの上なく好きというベルン市長と、スイスの富豪アンディ・リース氏(BMCのオーナー)の力添えがあったという。ユネスコ世界遺産になっている美しい旧市街を走りぬけ、カンチェラーラの家からほんの数分という通りにフィナーレの舞台が用意された。

昨ステージの勝利で一躍人気者のヤルリンソン・パンタノ(コロンビア、IAMサイクリング)昨ステージの勝利で一躍人気者のヤルリンソン・パンタノ(コロンビア、IAMサイクリング) photo:Makoto.AYANOもちろんこの日の優勝を狙いたいカンチェラーラはバスの中で長く過ごし、スタートサインぎりぎりにポディウムに登場した。
それまでトレック・セガフレードのバス前ではカンチェラーラに代わり監督陣が詰めかけた記者の質問に応じた。「勝てたらマジックだ。でもそれが可能だとは思えない難しいこのステージで、カンチェラーラのためだけにチームが走ることは無い」「このツールはモレマのためにきている」と、チームがカンチェラーラのホームタウン勝利に向けて全力を尽くすつもりは無いことを断った。

カンチェラーラの特別なSPARTACUSバイクのホイールには、パリ〜ルーベで使用するFMB社のタイヤが貼られていた。もちろんこの日は舗装路を走る区間が殆どで、パヴェはほんの数百m。しかし勾配は7%とロンド並。この難しい条件がミックスされたファイナル2kmが勝負を決めるのはカンチェラーラ自身が知っていての選択だ。北のクラシックのノウハウからの、石畳をいなす特別な柔らかさをもったタイヤと空気圧。もちろん「最後の区間のことはすべて知っている」とカンチェラーラ。

クリス・フルーム(チームスカイ)はリラックスして今日のステージに臨むクリス・フルーム(チームスカイ)はリラックスして今日のステージに臨む photo:Makoto.AYANO
気温は上昇し、蒸し暑い真夏日が到来した。記者たちの意識がカンチェラーラに向けられたぶんフルームへのプレッシャーは緩み、一番にスタートラインに並んだフルームはリラックスしてボトルの水を飲む。そしてマイヨアポアのラファル・マイカとチャットを楽しむ。

クリス・フルーム(チームスカイ)のホイールは名前入りクリス・フルーム(チームスカイ)のホイールは名前入り photo:Makoto.AYANOスタートを待つクリス・フルーム(イギリス、チームスカイ)とラファル・マイカ(ポーランド、ティンコフ)スタートを待つクリス・フルーム(イギリス、チームスカイ)とラファル・マイカ(ポーランド、ティンコフ) photo:Makoto.AYANO


プロトンは一路スイスへ。地域から配られた黄色い布切れに「Made in JURA」と描かれたPR用のフラッグを降る沿道の観客たちに見送られ、プロトンはジュラ山脈の山村を駆け抜ける。路上ではニースでのテロの犠牲者への追悼メッセージや団結を呼びかけるメッセージを掲げた人は今日も多く見られた。

ジュラの山村を走り抜けていくプロトンジュラの山村を走り抜けていくプロトン photo:Makoto.AYANO
アタック合戦の末にトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップのエティックス・クイックステップコンビが抜けだした。2人のチームメイトがコンビを組んで逃げるという不思議な動きにメイン集団も困惑?

スイスの色合いが感じられるジュラの山村を走り抜けていくプロトンスイスの色合いが感じられるジュラの山村を走り抜けていくプロトン photo:Makoto.AYANOジュラの黄色い旗を掲げて応援する人たちジュラの黄色い旗を掲げて応援する人たち photo:Makoto.AYANO


トニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)の2人の逃げが始まったトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)の2人の逃げが始まった photo:Makoto.AYANO
何より2人のスピードが圧倒し、徐々に集団を引き離し始めた。アタック成功、しかし2人はこのまま行くのか? 新城幸也(ランプレ・メリダ)も今日はアタックするチャンスがあることで集団前方に居たが、「まさかエティックスの2選手が行ってしまうとは。なんの意味がある動きなのか良くわからなかった」と見送ってしまう。

フランス国旗のもと、ニースへの想いを胸に団結をフランス国旗のもと、ニースへの想いを胸に団結を photo:Makoto.AYANOプロトンはスイスへ進んでいくプロトンはスイスへ進んでいく photo:Makoto.AYANO


ジュラ山脈の山村と湖を横目に走り抜けていくプロトンジュラ山脈の山村と湖を横目に走り抜けていくプロトン photo:Makoto.AYANO
国境を越えると風景も変わるから不思議だ。のどかなスイスの風景のなか、2人はトロフェオ・バラッキ(ペアで走るTT)のような超長距離タイムトライアルモードで逃げ続ける。機関車マルティンが大方を引く逃げは強力で後方から追走を試みたグループよりも強力で追いつくことはなかった。

トニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)の2人の逃げは続くトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)の2人の逃げは続く photo:Makoto.AYANOスイス国旗とニース追悼のメッセージがプロトンを迎えるスイス国旗とニース追悼のメッセージがプロトンを迎える photo:Makoto.AYANO


後方に張り付くアラフィリップは時々先頭引きを手伝うものの、マルティンのペースに目一杯の様子。2014年ツールでは山岳を含むステージで60kmの独走を成功させているマルティン。しかし今回は平坦路。そんな逃げがツールで成功したのはずいぶん過去の話だ。

2人で逃げるトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)2人で逃げるトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ) photo:TDWsport/Kei Tsuji目一杯になったアラフィリップがマルティンに付いて行くことを諦め、マルティンの独走もラスト20kmで終了。パトリック・ルフェーブルGMも「勇敢な走りに感動した」。

ベルンのフィニッシュ手前の坂にはファビアン・カンチェラーラによる巨大な応援バナーが掲げられたベルンのフィニッシュ手前の坂にはファビアン・カンチェラーラによる巨大な応援バナーが掲げられた photo:Makoto.AYANOじつはこの逃げは最初から申し合わせたものではなく、2人になったのは偶然だったようだ。「僕のヒーロー、そしてチャンピオンのトニと2人きりになるとは思っていなかった。でも走っているうちに協力しあえないグループで逃げるよりトニと2人きりで走る方が素晴らしいことだと気がついた」。

残り20kmからはルイ・コスタ(ランプレ・メリダ)の独走。しかしシャンゼリゼ前の最後のスプリントチャンスになんとか勝ちたい各チームの激しい牽引の前にその逃げは許されなかった。先に戻ったアラフィリップはマルセル・キッテルの牽引を少し手伝うが、キッテルは最後の4級山岳で遅れてしまう。リモージュでの登りスプリントを制したキッテルは、その前にチャンスを放棄してしまう。

ベルンには当然のごとく多くのカンチェラーラファンが詰めかけた。最後の2kmの斜面にはファンクラブの巨大バナーが飾られる。ホームタウンでのツール・ド・フランスを走る英雄の姿をひと目見ようと、沿道は市民総出状態だ。

ベルン旧市街のラスト2kmの石畳を駆け上がるペーター・サガン(ティンコフ)ベルン旧市街のラスト2kmの石畳を駆け上がるペーター・サガン(ティンコフ) photo:Makoto.AYANO
ラスト2kmの石畳区間の登りを経てフィニッシュへ。セプ・ファンマルク(ロットNLユンボ)がトップで駆け上がるラスト2kmの石畳区間の登りを経てフィニッシュへ。セプ・ファンマルク(ロットNLユンボ)がトップで駆け上がる photo:Makoto.AYANO旧市街をぐるりと巻きながら登る石畳区間。その荒れかた自体はロンドやルーベのそれに比べて特別なものはないが、旧市街を縫うように走るコースの難しさが集団走行での危険さを増した。

総合争い系の有力選手たちも秒差を失えないと、我先にと前に上がってくる。そして石畳区間を越えての600mのアップヒルこそがスプリンターたちの脚をいっぱいにさせた。登れるスプリンターでなくては勝負に絡めない。ステージ4勝を挙げたマーク・カヴェンディッシュはパヴェを集団前方でクリアしながらも、この坂で脱落した。

石畳でのターンを経れば上りフィニッシュが始まる石畳でのターンを経れば上りフィニッシュが始まる photo:Makoto.AYANO
石畳区間を終えるとこの先は新市街への上り坂だ石畳区間を終えるとこの先は新市街への上り坂だ photo:Makoto.AYANO
パヴェと600mのアップヒルのセレクションを経て残ったのは30人。スプリントへの勝機にかける選手とアシスト、そしてそのうち16人は総合争いの選手たち。フルームを筆頭にリスク回避のための先頭キープだった。

激しいスプリント争いを決めたのは、最後にもうひと押しのハンドル投げ。強力に先行したアレクサンダー・クリストフがフィニッシュラインを見失っているそのときに、ペーター・サガンはライン通過に向けて全身を使って力いっぱいハンドルを投げ出した。

ベルンでのフィニッシュラインへハンドルを投げたペーター・サガン(ティンコフ)がクリストフを下すベルンでのフィニッシュラインへハンドルを投げたペーター・サガン(ティンコフ)がクリストフを下す photo:Makoto.AYANO
ゴール後に倒れ込むアレクサンダー・クリストフ(ノルウェー、カチューシャ)ゴール後に倒れ込むアレクサンダー・クリストフ(ノルウェー、カチューシャ) (c)Corvos街路樹の緑繁る直線路は夏日の木漏れ日と陰の明暗差が大きく、状況は見えにくかった。そして下を向いて全開状態でもがいていたクリストフは前方の確認を怠り、ハンドルを投げるタイミングが遅れてしまった。今ツールで3度目の写真判定。フィニッシュしてから判定が出るまで2分、クリストフは喜び一転どん底に突き落とされた。

カタリナ夫人に花束をプレゼントするペーター・サガン(ティンコフ)カタリナ夫人に花束をプレゼントするペーター・サガン(ティンコフ) photo:Makoto.AYANOハンドル投げが遅れたミスはラインを超えた時に判っていたが、それでも勝てたと信じていたクリストフ。しかしフォトフィニッシュの画像が写していたのは、前に投げ出されたサガンのバイクのタイヤが僅かな差で先に通過していた事実。

「今日は勝利を掴んだと思った。でも下を向いて全開で踏み続けたのでフィニッシュラインが見えず、気付いた時には遅すぎた。フィニッシュまでの登りはとてもハードだった。限界ギリギリでなんとか勝負に残ってスプリント。しっかりハンドルを投げていれば自分が勝っていたと思う。それでも勝ったと思ったけど、わからなかった…。勝利にギリギリ近づいていながら勝てなかったのは本当に大きな失望だ。スプリントの悪い見本になってしまった」。

昨年のツールで「2位の男」の不名誉な称号を受けたペーター・サガンは、今や「3勝を挙げた男」になった。その数はツールに初めて出場して周囲を驚かせた2014年のステージ3勝とタイだ。今年はもう1勝するチャンスがシャンゼリゼに待っている。
サガンが初めてツールのステージを勝ち取った2014年、ベルギーはリエージュでのフィニッシュも上り坂がキーとなるスプリントで、先行したマイヨ・ジョーヌのカンチェラーラのスリップストリームを利用して最後に射止めた勝利だった。あれから2年。

カンチェラーラの地元で、スイスにもたくさん居た自身のファンたちの前で手にした幸運。昨年のツールでの不運を塗り替えて余りあるサガンは、今や幸運の人。「今までほんのこれっぽっち(2cmを指で表して)で負けてきたんだ。これはデスティニー(運命)さ」とサガン。幸運の花束を受け取った奥さんのカタリナさんも「幸運のカルマが戻ってきたと、運の気まぐれな変化に歓喜した。

ニースへの追悼から表彰式は依然として音楽無しで行われる。その最後の表彰で音楽要らずで十分に感動的だったのは最後の敢闘賞の表彰だ。選定委員らは例外的にマルティンとアラフィリップの二人に敢闘賞を贈らずにはいられなかった。

トニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)のふたりに敢闘賞が贈られたトニ・マルティンとジュリアン・アラフィリップ(エティックス・クイックステップ)のふたりに敢闘賞が贈られた photo:Makoto.AYANO
今までに2人が敢闘賞を受け取った例としては、2011年ツールで逃げグループを追い抜こうとしたゲストカーにはねられて大怪我を負いつつも走り続けたジョニー・フーガーランドとフアンアントニオ・フレチャの例がある。そのときと同様の特別措置だ。

もっとも、偉大なチームメイトの後ろで苦しみ続けたアラフィリップは自身の受賞は少々遠慮気味にマルティンを讃えた。「僕が考えるに今日のこの賞はトニにこそふさわしい。僕はずっと苦しみながらついていっただけなんだ。トニは特別な選手で偉大なチャンピオン。今日は彼が先生で、自分が生徒だった。彼の後ろで苦しみ続けたけど、僕にはこのうえなく良いレッスンだった。2人にとって良い思い出になったよ。この経験が僕を強くしてくれる」。

カンチェラーラは6位でフィニッシュ。スプリンターたちとやりあっての十分な順位。しかしの故郷での勝利は叶わず。夢物語はやはり簡単には実現しなかった。しかし勝っても勝てなくても、ベルン市民はカンチェラーラが走る姿に惜しみない大声援を送った。

ベルンでのフィニッシュラインではニースへの黙祷を捧げるベルンでのフィニッシュラインではニースへの黙祷を捧げる photo:Makoto.AYANOカンチェラーラはレースを終えると故郷のファンたちにお礼を言った。「ありがとうベルン!、サポーターたち! すべての応援に感謝。ベルンは良いフィニッシュを演出してくれた。自分の生まれ育った街を走るのはスペシャルでユニーク、そして素晴らしい気分だった。今日心のなかをよぎったすべてを言い表すことなんてとてもできない」。

今夜は家族や友人とパーティ? そして休息日が明ければ、待っているのはアルプス山岳の厳しい日々。リオ五輪に向けてコンディショニングに入るためにリタイアすることも予想されるカンチェラーラ。
「明日は休息日なので今日はビールでも飲もうと思う。ワインはシーズン終了まで取っておく」。

シャンゼリゼまで走りきれば、おそらくは特別な演出が待っていることだろう。


photo&text:Makoto.AYANO in Bourg en Besse, France
photo:Kei.TSUJI, TimDeWaele