トリノでフィナーレを迎えた第99回ジロ・デ・イタリア。身動きが取れないほど集まった観客たちはジャコモ・ニッツォロ(イタリア、トレック・セガフレード)の降格に首をかしげ、ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)の登場に歓喜した。大会最後の現地レポート。



ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)のグロッシーなピンクのスペシャライズド・ターマックヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)のグロッシーなピンクのスペシャライズド・ターマック photo:Kei Tsuji
最後の出走サインを済ませた山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ)最後の出走サインを済ませた山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ) photo:Kei Tsuji
雨のクーネオをスタートする157名の選手たち雨のクーネオをスタートする157名の選手たち photo:Kei Tsuji


スタート地点のクーネオに到着した選手たちは、分厚い雲が立ち込めた空を不安げに見上げながらチームバスから降りてきた。グランフィナーレには相応しくない空模様。とは言っても残り163km(しかもコースは平坦)を走れば3週間の戦いが終わるため、雨の下でも選手たちの表情はどこか晴れやかだ。

道中、天候は一時的に回復したものの、2006年の冬季五輪の開催地トリノに近づくと再び雲行きは怪しくなる。巨大な雨雲が上空に立ち込め、選手たちがトリノに到着する1時間ほど前には激しい雨が降った。ただでさえテクニカルな周回コースがウェットで危険な状態となったため、ニュートラル措置が取られ、1回目のフィニッシュライン通過時点でヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)の総合優勝は決まった。

総合上位陣がリスクを負ってまで集団に残る必要がないため、メイン集団はみるみるうちに小さくなっていく。スプリンターチームが率いる第1集団、アスタナが率いる第2集団、オリカ・グリーンエッジとロットNLユンボが率いる第3集団という状態で最終周回へ。そのさらに後方集団で走っていた山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ)は、最終周回前に第1集団に追いつかれたためストップ。完走扱いとなったが、他の選手よりも1周少ない状態でのフィニッシュに「どこか消化不良です」と笑った。



カウンターアタックを仕掛けるジャンルーカ・ブランビッラ(イタリア、エティックス・クイックステップ)らカウンターアタックを仕掛けるジャンルーカ・ブランビッラ(イタリア、エティックス・クイックステップ)ら photo:Kei Tsuji
オランダエリアを通過するマーティン・チャリンギとヨス・ファンエムデン(オランダ、ロットNLユンボ)オランダエリアを通過するマーティン・チャリンギとヨス・ファンエムデン(オランダ、ロットNLユンボ) photo:Kei Tsuji
序盤に落車した山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ)が集団内で走る序盤に落車した山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ)が集団内で走る photo:Kei Tsuji


フィニッシュラインで、マリアロッサを着るジャコモ・ニッツォロ(イタリア、トレック・セガフレード)のガッツポーズが決まった。これまでジロで表彰台(ステージ2位or3位)を13回も経験しながら勝てていなかったニッツォロがマリアロッサとしての意地を見せてのスプリント勝利。一頻りチームメイトやチームスタッフと喜びを分かち合ってから表彰台の裏に向かったニッツォロだったが、なかなか表彰式が始まらない。通常であればステージ優勝者が一番先に表彰されるが、先にニーバリの総合表彰が始まった。

結果は進路を妨害したとするコミッセールの判断によってニッツォロに処分が与えられ、2位のニキアス・アルント(ドイツ、ジャイアント・アルペシン)が繰り上げでステージ優勝。処分を知らされていない観客たちは、表彰台にどこか申し訳なさそうな表情でアルントが登場すると首をかしげ、互いの顔を見合わせた。

ニッツォロが勝利するとイタリアが今大会ステージ7勝でドイツのステージ6勝を上回ったが、ニッツォロが降格処分を受けてたためドイツがステージ7勝でイタリアがステージ6勝に。キッテル、グライペル、クルーゲ、アルントと、平坦ステージは全てドイツ人が制したことになる。イタリア人スプリンターは最後まで勝利に見放された。



観客が詰めかけたトリノの周回コースを走る観客が詰めかけたトリノの周回コースを走る photo:Kei Tsuji
先頭でスプリントするジャコモ・ニッツォロ(イタリア、トレック・セガフレード)先頭でスプリントするジャコモ・ニッツォロ(イタリア、トレック・セガフレード) photo:Kei Tsuji
フィニッシュ手前で吸収され、頭を抱えるエドゥアルド・グロス(ルーマニア、NIPPOヴィーニファンティーニ)フィニッシュ手前で吸収され、頭を抱えるエドゥアルド・グロス(ルーマニア、NIPPOヴィーニファンティーニ) photo:Kei Tsuji


光沢のあるピンクのスペシャライズド・ターマックに乗って走ったニーバリが、両手を挙げてフィニッシュラインを切った。自身2度目のジロ総合優勝で、グランツール総合優勝は4度目。

ニーバリの活躍によってガゼッタ・デッロ・スポルト紙は2日連続でジロをトップニュースに持ってきた。日曜日の記事のタイトルは「Dal buio al trionfo(暗闇から栄光へ)」。これまでの長い歴史の中でも、不調から復活し、アルプスの2日間で総合タイムをひっくり返したニーバリの逆転劇は極めてドラマティックだった。

「開幕前から大きなプレッシャーを背負っていた。そのプレッシャーがレースの影響したのかもしれない。でも調子を落として総合順位を下げたところで、つまり総合優勝のチャンスがほとんど消えて無くなった時、プレッシャーも無くなった。そして最後まで諦めたくない強い気持ちが湧いてきた」。大会2週目にウィルス性の胃腸炎にかかりながらも復活し、結果的にイタリアを大きく沸かせることになったニーバリは大勢のメディアが詰め掛けた記者会見でそう語った。

アスタナは2013年以降毎年欠かさずグランツールで総合優勝を飾っている。2013年ジロ(ニーバリ)、2014年ツール(ニーバリ)、2015年ブエルタ(アル)、2016年ジロ(ニーバリ)。チーム総合表彰でメンバーと一緒に表彰台に上ったアレクサンドル・ヴィノクロフGMは、トリノの空に響くカザフスタン国歌に聴き入った。



トロフェオセンツァフィーネにキスするヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)トロフェオセンツァフィーネにキスするヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ) photo:Kei Tsuji
大歓声を受けてヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)らがシャンパンを開ける大歓声を受けてヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)らがシャンパンを開ける photo:Kei Tsuji
JSPORTSの電話に出る山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ)JSPORTSの電話に出る山本元喜(NIPPOヴィーニファンティーニ) photo:Kei Tsuji


RCSスポルトの発表によると、主催者はジロ第99回大会において1,795名にメディアパスを発行。内訳はジャーナリストが1,327名でフォトグラファーが468名。掲載メディアは国内外合わせて771媒体だった。

3回の休息日を含む24日間、21ステージの総走行距離は3,463.1kmでニーバリの優勝タイムは86時間32分49秒。獲得標高差は合計43,290mで、毎日平均して2,000m以上を登っていることになる。各ステージの獲得標高差は以下の通り。

ジロ2016ステージ距離/獲得標高差
第1ステージ 9.8km/10m
第2ステージ 190km/800m
第3ステージ 190km/700m
第4ステージ 200km/2,200m
第5ステージ 233km/2,900m
第6ステージ 157km/3,200m
第7ステージ 211km/2,200m
第8ステージ 186km/1,900m
第9ステージ 40.5km/280m
第10ステージ 219km/4,200m
第11ステージ 227km/800m
第12ステージ 182km/200m
第13ステージ 170km/3,400m
第14ステージ 210km/5,400m
第15ステージ 10.8km/800m
第16ステージ 132km/2,600m
第17ステージ 196km/1,200m
第18ステージ 240km/1,700m
第19ステージ 162km/3,700m
第20ステージ 134km/4,300m
第21ステージ 163km/800m
合計 3,463.1km/43,290m

レース後すぐにJsportsの生電話に出演した山本元喜はチームバスでシャワーを浴び、身支度を整えてボローニャの拠点に帰っていた。山本は1990年の市川雅敏、2002年の野寺秀徳、2010年と2014年の新城幸也、2011年、2012年、2014年、2015年の別府史之に続く日本人5人目のジロ完走者に。24歳6ヶ月でのグランツール完走は2010年ツールの新城よりも若い日本人最年少記録だが、「勝負に絡んでいた新城さんとは比較にならない」と謙遜する。山本のインタビューは別記事にてお伝えします。

text&photo:Kei Tsuji in Torino, Italy

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