今年で100回目の開催を迎えるロンド・ファン・フラーンデレン。ゴールの街オーデナールデと市民レースが開催された前日までの現地の雰囲気などとともにお伝えしよう。



土曜のロンド市民レースより。パテルベルグで勾配の厳しさに歩き出す土曜のロンド市民レースより。パテルベルグで勾配の厳しさに歩き出す photot:Makoto.AYANO

ロンドの略歴

フラマン語でデ・ロンド・ファン・フラーンデレン、日本での呼称はツール・デ・フランドルとされることも多いが、「デ・ロンド(一周の意味)」はすでにベルギー国外でも通用する呼び名になった。1913年の第1大会から数えて103年、戦争での開催中止年を挟みつつ、ロンドは今年100回の開催を数える。

スポーツ紙「SportWereld」が主催してロンド・ファン・フラーンデレンは始まったスポーツ紙「SportWereld」が主催してロンド・ファン・フラーンデレンは始まった photot:Makoto.AYANOワンデークラシックの王様と讃えられるロンド・ファン・フラーンデレンは、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、ミラノ〜サンレモ、パリ〜ルーベ、イル・ロンバルディアと並び、特別に歴史が古く、格式の高いワンデイクラシックの「5つのモニュメント(記念碑)」のうちの一つだ。それらモニュメント、そしてツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアがそうであったように、ロンド・ファン・フラーンデレンもまたスポーツ紙の販売促進を目的としてスポーツ新聞社が主催することで始まった自転車レースだ。


ベルギーのスポーツ紙「SportWereld(スポートウィーレルド)」が主催して始まったロンド。興行的には大成功を収め、同紙は後にベルギー最大の日刊紙ヘットニウスブラッドを発刊するメディア会社により買収され、現在の主催紙的な位置づけにはヘットニウスブラッド紙がつく。

2010年には(ヘットフォルクから名を変えた)オムループ・ヘットニューズブラッドからヘント・ウェヴェルヘム、スヘルデプライスなどの一連の春のクラシックレースを統括するメディアグループ企業による興行団体「フランダース・クラシックス」に運営権は移譲された。近年、それらのフランドルのクラシックシリーズレースが統一感をもって運営されてきているのはそのためだ。

1913年にヘント(スタート)〜ヘント(ゴール)として始まった第1回ロンド・ファン・フラーンデレンは、37人の選手が324kmを走る史上最長距離の持久走的なレースだった。他の現在のメジャーレースがそうであるように、ロンドも発着点や距離を変えながら、また選手やチームもプロ化しながら現在のレース形態へと変化してきた。フランドル地方独特の丘の連続する地形を活かし、石畳の小径をつなぐタフなレースとして磨かれてきた。

オーデナールデのマルクト広場で憩うサイクリストたちオーデナールデのマルクト広場で憩うサイクリストたち photot:Makoto.AYANO
1973年以来の近年において長らくお馴染みだったメールベーケ(ニノーヴ)のフィニッシュ地点がオウデナールデへと移され、周回ループを取り入れたフィナーレへと変更を受けた。主催者たちがオウデナールデへのフィニッシュにこだわったのは、ゴール地点となっているこの街にCRVV/セントラム・ロンド・ファン・フラーンデレン(=博物館)があること。いわばロンドの心臓部にあたる街でフィナーレを迎えることが最良と考えたからだ。

ベルギービールを飲みながら街を満喫するベルギービールを飲みながら街を満喫する photot:Makoto.AYANOオーデナールデのマルクト広場の博物館にも100があしらわれたオーデナールデのマルクト広場の博物館にも100があしらわれた photot:Makoto.AYANO


聖地的なシンボルだったミュール・カペルミュールがルートから除外されたことにより、この大きな変更には反対の声も多かったが、このフィナーレの周回上にはビールを振る舞うブースや有料観覧セクション、スポンサーブースなどが設けられ、興行上の大成功を収めているようだ。

オーデナールデのCRVV/セントラム・ロンド・ファン・フラーンデレン(博物館)オーデナールデのCRVV/セントラム・ロンド・ファン・フラーンデレン(博物館) photot:Makoto.AYANO過去の優勝者の名前が刻まれたパヴェ過去の優勝者の名前が刻まれたパヴェ photot:Makoto.AYANO


オウデナールデ中心部にあるCRVV博物館について詳しくはまた別レポートで触れたいが、この博物館は一般的な自転車博物館とは異なり、あくまでロンド・ファン・フラーンデレンの歴史をつづった博物館ということ。フィニッシュ地点が移って以来、博物館を訪れる人も大きく増えているようだ。今年、博物館内の展示内容自体も100回記念大会を節目に内容が見直された。ただしフラマン語のみの展示となることは変わらない。

ロンド・ファン・フラーンデレンの歴史をつづった博物館だロンド・ファン・フラーンデレンの歴史をつづった博物館だ photot:Makoto.AYANO石畳のライドを体験することができる石畳のライドを体験することができる photot:Makoto.AYANO


サイクリストが溢れ、憩う。街の活気も一昔前とは比べ物にならない。オウデナールデは女子レースのスタート&ゴール地点にもなり、市民レーサーをも多く集めて「ロンドの街」として年々華やかになっている。今年は100回記念大会を祝う装飾も施され、多くのサイクリストたちとともにプロトンの通過を待つ用意が進んでいた。

オーデナールでのカフェがサイクリストたちでいっぱいだオーデナールでのカフェがサイクリストたちでいっぱいだ photot:Makoto.AYANOロンドの通過を心待ちにするオーデナールデロンドの通過を心待ちにするオーデナールデ photot:Makoto.AYANO


市民レースは大盛況。レース前夜はパヴェを濡らす雨が降り続く

オウデナールデはプロレース前日に開催される市民版ロンド(RVV cyclo)の71・129kmクラスのスタート&ゴール地点ともなり、16,000人の市民サイクリストがコースを走った。この2コースともにプロレースが走るパヴェを実際に走ることができる。レース当日はオートバイに乗るフォトグラファーの私・綾野も129kmコースを実際に走ったので、そのコース下見の印象も紹介しておこう。

モレンベルグは勾配は厳しいがドライで締まっているモレンベルグは勾配は厳しいがドライで締まっている photot:Makoto.AYANOパヴェはもともと農作業や生活のために作られた生活道だパヴェはもともと農作業や生活のために作られた生活道だ photot:Makoto.AYANO


ビールを飲みながらの観戦スタイルがスタンダードだビールを飲みながらの観戦スタイルがスタンダードだ photot:Makoto.AYANOコース上のあちこちに脱落してしまったボトルがコース上のあちこちに脱落してしまったボトルが photot:Makoto.AYANO


昨年と比較してコースに特筆すべき変更点は無い。土曜昼まではコース上のパヴェの状態はどのセクターもドライで良好だったが、勝負どころのオウデ・クワレモントとコッペンベルグは、両側が土のため、その土が水に流れてコースの両脇上に泥の層をつくっていた。コース管理者によればこれらの泥を除去する作業は行われないので、プロレース当日は良い条件で走れるラインは一本しかないほど狭い箇所がある。もっとも条件が悪いのはコッペンベルグの最大勾配22%地点あたり。泥が乾かなければ立ち往生とスリップ転倒のきっかけになる難所だ。

コッペンベルグの最急勾配地点には泥が浮くため乗っていけなたったコッペンベルグの最急勾配地点には泥が浮くため乗っていけなたった photot:Makoto.AYANO「押します」サービスを受付中「押します」サービスを受付中 photot:Makoto.AYANO


コッペンベルグの最急勾配付近は非常に困難だコッペンベルグの最急勾配付近は非常に困難だ photot:Makoto.AYANO
天気予報は当初、今週末は土曜・日曜の両日ともに天候良好という予報を出していた。土曜は天気予報では日中の最高気温は17度で晴天予報だったにもかかわらず、実際は一度も太陽が姿を見せず、最高気温も9度ほどと予報よりもかなり低かった。

日曜日は予報によればオウデナールデの気温は最高21度/最低11度という暑さで、降水確率は0%に近く、風が弱いとされている。しかし実際には日付の変わった午前0時の時点で軽い雨が降り続いている。

「ベルギーの天気予報はあてにならない」「一日のうちに四季がある」と形容されるだけに、明日のレースはウェア選択の難しさと走行中の着替えに忙しい日になるかもしれない。


photo&text:Makoto.AYANO

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