最初は緊張していた秩父札所巡りも少しずつ慣れ15番札所までこなしたメタボ会長と新入編集部員カマタ。しかし札所巡りの予習をしていなかったことがバレて緊迫した空気に。気を取り直して16番・西光寺に向かいます。



秩父札所十六番”西光寺(さいこうじ)”は4月になると山門脇の枝垂れ桜が満開になるそうです秩父札所十六番”西光寺(さいこうじ)”は4月になると山門脇の枝垂れ桜が満開になるそうです
15番の少林寺から秩父市街を挟んで住宅地を1.5kmほど進んだところにある秩父札所十六番”西光寺(さいこうじ)”に到着。寄棟造りの大きな本堂は江戸中期となる宝永7年(1710年)に建てられ、本尊は千手観世音菩薩だとか。境内の左側には大きな酒樽に茅葺き屋根を乗せた酒樽大黒があり、ここに名刺を供えると財布のお金が倍になるという。私は財布のお金が10倍になっていて欲しいので、ご多分に漏れず、名刺10枚ほどをお供えし、念入りにお詣りしてきた。もれなく明日には財布が重くなっているはずだ。

「ここが1番オススメ!ここから入ってあっちから出てくるだけで、四国八十八ヵ所霊場を巡礼したのと同じご利益があるんだぜ!凄いだろ!」とメタボ会長が指差したのは本堂の脇から山門近くまでは回廊堂。いやいや、札所13番の慈眼寺にも回しただけで棚にある書物を全て読んだ事にしてくれる経蔵があったばかり。そこから3つしか離れていない16番札所でもこのような”ズルい”システムがあるとは手抜きにも程が有るぞ秩父札所よ!そこまでお手軽だと却ってバチが当たりそうだが、素敵なシステムである。ちなみに所要時間はわずか1分だ。

寄棟造りの本堂は江戸中期の建立で、大きく立派な構えが特徴的です寄棟造りの本堂は江戸中期の建立で、大きく立派な構えが特徴的です
入り口左にある酒樽大黒には名刺がびっしりと納められています。個人情報がダダ漏れです…入り口左にある酒樽大黒には名刺がびっしりと納められています。個人情報がダダ漏れです… 本堂脇には回廊堂があり、中を巡れば四国八十八ヵ所霊場を巡礼したのと同じご利益が得られます本堂脇には回廊堂があり、中を巡れば四国八十八ヵ所霊場を巡礼したのと同じご利益が得られます

中は細い廊下の様になっており、四国八十八ヵ所の観音像がずらりと並んでいます中は細い廊下の様になっており、四国八十八ヵ所の観音像がずらりと並んでいます 回廊を1周しただけというのに、やってやったぜと得意顔のメタボ会長回廊を1周しただけというのに、やってやったぜと得意顔のメタボ会長


埼玉で四国巡り?をした後に向かったのは秩父札所十七番”定林寺(じょうりんじ)”なのだが、参道のあたりで何処かで見たようなデジャブのような既視感に襲われる。そうだ!これは、もしかして!”あの花”の重要シーンに使われるお寺じゃないか!?

そう、ここ定林寺は秩父を舞台にしたテレビアニメ「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」に幾度となく出て来る場所であり、物語の確信に迫る”各登場人物がヒロインに対する思いを吐露するシーン”に使用される”あの花”ファン垂涎の地であるのだ。

あの花の聖地として有名な秩父札所十七番”定林寺(じょうりんじ)”に到着ですあの花の聖地として有名な秩父札所十七番”定林寺(じょうりんじ)”に到着です
”あの花”ではあなるとぽっぽがアイスを食べるシーンや、各メンバーの告白シーンに使用されました”あの花”ではあなるとぽっぽがアイスを食べるシーンや、各メンバーの告白シーンに使用されました
定林寺の裏には少し天井が低くなった念仏回廊があります。中は正直ただの廊下です定林寺の裏には少し天井が低くなった念仏回廊があります。中は正直ただの廊下です そもそも「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」とは2011年に放送された深夜アニメで、幼馴染であった女の子の死という過去を抱え、疎遠になっていた仲良しグループが、彼女の幽霊が現れたことをきっかけに再び絆を取り戻すという甘く切ない青春ストーリーで人気を博したアニメ作品だ。

2011年は良質で人気のアニメが多数放送されたいわば”豊作の年”であったが、Blu-rayメディアにおけるテレビアニメ第1巻初動売り上げ史上3位を記録し、文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品アニメーション部門に選出されたほどだ。

最近では秩父を舞台にしたアニメというと札所10番で取り上げた”ここさけ”が有名となったが、放送から6年の年月が経つ”あの花”も忘れてはいけない。なにを隠そう私カマタは”あの花”が放送された当時リアルタイムで視聴していたし、花火を打ち上げるシーンでは号泣したし、アニメブルーレイも全巻制覇した経緯を持つあの花ファンでもあるのだ。

私は”あの花”や”ここさけ”のヒットの要因には親しみやすく美しい背景画が一役買っていると思っている。そう考えると、舞台となった秩父はなかなか侮れない場所である。それに最近、今をときめく超絶可愛い人気若手女優”土屋太鳳”が出演する西武鉄道のCMも放送されていたりと、これから秩父は盛り上がってくるのではないかと思ってしまう。

落ち着いた雰囲気の秩父札所十八番”神門寺(ごどうじ)”は天保の頃に再建された立派な観音堂が特徴的な札所です落ち着いた雰囲気の秩父札所十八番”神門寺(ごどうじ)”は天保の頃に再建された立派な観音堂が特徴的な札所です
この神門寺にも回廊があります。1段低くなっているので頭上に注意ですこの神門寺にも回廊があります。1段低くなっているので頭上に注意です 中には大日如来や千手菩薩などの仏像や、本尊である聖観世音立像と繋がれた手綱があります中には大日如来や千手菩薩などの仏像や、本尊である聖観世音立像と繋がれた手綱があります

境内の脇にある蓮華堂には、普賢菩薩、釈迦如来、文殊菩薩、大日如来などが祀られています境内の脇にある蓮華堂には、普賢菩薩、釈迦如来、文殊菩薩、大日如来などが祀られています 平成4年には参拝者を笑顔で迎えるニコニコ地蔵尊が新たに祀れました平成4年には参拝者を笑顔で迎えるニコニコ地蔵尊が新たに祀れました


次に向かうのは秩父札所十八番”神門寺(ごどうじ)”。定林寺からは1.2km離れた場所にあり、なんと国道沿い建つお寺である。もともとは上門山長生院という修験寺として多くの建物があったそうだが、寛政の頃(1789年~1801年)に焼失。現在の観音堂は天保の頃(1830年~1843年)に秩父の名匠、藤田若狭の手により再建されたという小奇麗な仏閣である。

なんとここにも観音堂の裏手に回廊がある。13番や15番札所ではお手軽に大きなご利益が受けれれる素晴らしいシステムが用意されていたが、ここはどんな良いことがあるのだろうか。そんな期待込めて会長に尋ねると「そんな話は知らないな」と一蹴。残念ながら大した物ではないらしい。一応説明しておくと、中には大日如来や千手菩薩などの仏像があり、本尊と繋がれた手綱もあるため、ご開帳の時以外でもご本尊と握手ができるようになっている。回廊で君も本尊と握手!

古民家っぽい建物の前を進みます。古い建物が多いのも秩父の街の特徴です古民家っぽい建物の前を進みます。古い建物が多いのも秩父の街の特徴です
神門寺での参拝を済ませ、1.2kmほど進んだ場所にあるのが秩父札所十九番”龍石寺(りゅうせいきじ)”である。このあたりは水成岩の岩盤が露出しており、龍石寺はその上に本堂が建てられているお寺。昔、この地域で干魃があった際に弘法大師が祈祷したところ、岩盤が大きく2つに割れながら現れ雨が降るようになったという伝説から、この場所に寺院を建てたそうだ。

大きな岩の上に建っている秩父札所十九番”龍石寺(りゅうせいきじ)”。メタボ会長がいるのが岩の上です大きな岩の上に建っている秩父札所十九番”龍石寺(りゅうせいきじ)”。メタボ会長がいるのが岩の上です
お堂の基礎に出来るほど大きな岩で、岩と砂の部分の境界がはっきりしていますお堂の基礎に出来るほど大きな岩で、岩と砂の部分の境界がはっきりしています メタボ会長の背中より大きな岩の隣を走り抜けますメタボ会長の背中より大きな岩の隣を走り抜けます


本尊の千手観世音は室町時代に作られた坐高約46センチの坐像で、19歳と33歳の女性によく効く厄除けのご利益があるとか。随分ピンポイントなのが面白いところであり、千手観世音様の趣味を疑ってしまうのがゲスい人間らしさというものだろう。しかしなかなかに理解出来るのも部分もあるのは事実である。それ以外は特に見るものがない殺風景な景色が特徴。早々に次のお寺に向かうことにする。

何やら大きな建造物が近づいてくる。流石に定林寺に行くのであればここも通るだろうと予想はしていたが、近づくに連れワクワクする気持ちが高まってくるのはアニメオタクの性というものなのだろうか。そう、ここも”あの花”の聖地であり、キービジュアルやオープニングで再三使われる定番スポット、秩父橋である。

あの花に再三登場する旧秩父橋は橋上公園となっており、市民の憩いの場として整備されていますあの花に再三登場する旧秩父橋は橋上公園となっており、市民の憩いの場として整備されています
旧秩父橋はアーチ構造を採用しており、3代目となる”現”秩父橋からその美しい構造を見ることができます旧秩父橋はアーチ構造を採用しており、3代目となる”現”秩父橋からその美しい構造を見ることができます
秩父橋脇の休憩場所で日本一周中の方の自転車を発見しました秩父橋脇の休憩場所で日本一周中の方の自転車を発見しました 穏やかな時間が流れる田舎道を行きます穏やかな時間が流れる田舎道を行きます


実際に通るとアニメの世界に入れたようでキャラクターの気分になって走り抜けたくなる。因みに、アニメでキャラクター達が駆け抜けるのはアーチ橋の2代目秩父橋。その奥にある現在車道として使用されている斜張橋の3代目秩父橋で、新旧のコントラストが美しいのがこの場所の特徴である。では初代どこに行ったのかというと、既に取り壊されており、2代目のやや上流に橋脚が残されるのみとなっているのだ。

秩父札所二十番”岩之上堂(いわのうえどう)”も龍石寺と同じく一枚岩盤の上に建つ札所です秩父札所二十番”岩之上堂(いわのうえどう)”も龍石寺と同じく一枚岩盤の上に建つ札所です
苔生した岩盤が京都っぽい”わび・さび”の世界を表現しているかのようで美しいです苔生した岩盤が京都っぽい”わび・さび”の世界を表現しているかのようで美しいです
続いては秩父札所二十番”岩之上堂(いわのうえどう)”に到着。この札所は山門があって明確に入り口が分かるような造りではなく、樹木に囲まれた小道を下ると観音堂にたどり着く。観音堂は秩父札所の中でも最も古い江戸時代初期に造営されており、元禄の頃(1688年~1704年)には内陣を、宝永の頃には(1704年~1711年)彫刻の補修を行うなどその姿を保ってきた。

しかし、観音堂に行くまでには滑りやすそうな石の階段を降りていかねばならず、MTB用のSPDシューズを持ってしても少し不安が残る。会長は何度も来ているようで躊躇うことなくどんどん進んでいく。たどり着けば苔生した感じが京都っぽく、雰囲気が非常に良い札所だ。会長はここがかねてからお気に入り札所のようである。

道路に面した秩父札所二十一番”観音寺(かんのんじ)”は通称道路に面した秩父札所二十一番”観音寺(かんのんじ)”は通称"矢之堂"と呼ばれ、多くの伝説を有しています
芭蕉の句で最も有名とされる「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を書いた石碑が建っています芭蕉の句で最も有名とされる「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を書いた石碑が建っています 境内の右手には滅罪や延命などの利益がある宝篋印塔が建っており、11体の地蔵尊がその周りを囲っています境内の右手には滅罪や延命などの利益がある宝篋印塔が建っており、11体の地蔵尊がその周りを囲っています

次の札所となる秩父札所二十一番”観音寺(かんのんじ)”までは畑道を1kmほど走る。この観音寺は悪鬼たちを八幡神が神矢を放って追い払ったという伝説や、日本武尊が東征のときに矢を納め、社を建てた場所などの諸説から通称、矢乃堂と呼ばれているお寺。大正12年には隣接する小学校の火災に巻き込まれ焼失したが、後に今のお堂が建てられたという。境内には多くの石碑を有しており、松尾芭蕉の句碑なども残されているのだ。

秩父は思っていたより良いところである。私の地元である群馬に似ている田舎感が懐かしく親しみやすい空気を醸し出している。少しだけ秩父が好きになってきた自分がいるのかもしれないと会長に話すと、「だろうね。埼玉県内で最もブランディングに成功したのが秩父だから、ここの魅力から逃げ出すのは難しいと思うよ。」なるほど。確かに埼玉というと他に何もないイメージである。そう考えると、私の愛して止まない群馬には草津も伊香保もあるし、お隣の長野県様には世界を代表する避暑地、軽井沢もある。残念ながら埼玉は群馬にはまだまだ敵わないだろう。

秩父札所二十二番”童子堂(どうじどう)”は大きな傘のような屋根が特徴的な札所です秩父札所二十二番”童子堂(どうじどう)”は大きな傘のような屋根が特徴的な札所です
茅葺き屋根造りの山門の中には子供の工作レベルの顔をした仁王像が鎮座しています茅葺き屋根造りの山門の中には子供の工作レベルの顔をした仁王像が鎮座しています 茅葺屋根の山門手前には童顔の六地蔵尊がならんでいます茅葺屋根の山門手前には童顔の六地蔵尊がならんでいます


秩父札所二十二番”童子堂(どうじどう)”に到着。観音寺から2kmほど離れた場所にある札所である。境内は非常に殺風景で、到着した時は随分質素な所に来たものだと持ってしまった。入り口となる山門は珍しい茅葺き屋根の造りで、中には仁王像が立っている。この仁王像の顔が子供の工作レベルの出来上がりで、ちょっといただけない。「やんちゃ坊主のひょうきん顔で親しみがある」ということらしいが、それで許して良いのかというレベルだ。印象深いのだけは認めてあげよう。

この時点で時刻は15時半を回ったところ。走行距離は45kmほどだ。「今日はこの辺で戻ろうか。」ということで今回の札所巡りはここでお開きとなった。ここまで34箇所中22箇所を回ったが、別に急いだ感覚もなく、遅い訳でもないちょうど良いペースだったと思う。

巨大な斜張橋である秩父公園橋を通り秩父駅まで戻ります巨大な斜張橋である秩父公園橋を通り秩父駅まで戻ります
平日にも関わらず密かなブームとなっている”御朱印ガール”がお寺巡りをしていたり、ヒットアニメの聖地が至るところにあったりと、なかなか侮れない秩父の街。埼玉の山奥でお寺巡りなんて確実につまらないと思っていたが、ここまで来るとその考えを完全に改めなければいけないかもしれない。

霊場と札所巡りを現代風に言い換えると、パワースポットと聖地巡礼と言ったところだ。それらの事実を鑑みると、今回の秩父札所巡りを、編集長の言う”年配の読者層向けコンテンツ”と認識するのは的外れであり、若者にフィットしたコンテンツだと言える。メタボ会長の嗅覚は恐ろしいほど敏感なのだろうか?なんて、そんな戯言を思いながら助手席で眠りに就く私だった。

次回ですか?それは会長の都合次第ですね。



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メタボ会長
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目

当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。