アラスカで行われたファットバイク世界選手権に日本から参加したオルタナティブバイシクル代表の北澤肯さん。アラスカまでの準備を整えた前回のレポートに続く後編では、いよいよレースがスタートします。



滞在したスシトナ川沿いのロッジ滞在したスシトナ川沿いのロッジ photo:Koh.Kitazawaアンカレッジを後にして、いよいよレース会場となるタルキートナに向かう。タルキートナは、日本を代表する登山家である植村直己さんが最後に消息を絶ったマッキンリー山(現地では「デナリ」と呼ばれる)の玄関口となる小さな町だ。中学校の映画鑑賞会で「植村直己物語」を見て、また大学時代には植村さんの著作である「青春を山に駆けて」を読んで、まだ見ぬ世界に胸を躍らせて日本を脱出した僕にとって、この地は特別な場所だ。いや、僕だけじゃなくきっと多くの日本人にとってもそうだろう。

アンカレッジから車で1時間も走ると、もう大自然の真っただ中。雪原を悠々と歩くムースを何頭も見かけた。ここアラスカがどれだけ辺境の地なのか、人間が生きていける最前線なのかを実感する。途中の町でビールを仕入れ、全部で2時間少し走っただろうか、タルキートナに近づいたことを知らせる看板が出てきた。まずは郊外に住むマイクの妹さんの家に寄った。そこにはマイクの妹さんのパートナーがいて、歓待してくれた。彼は機械修理の仕事をしていて、何故かファイアーダンスの名手。僕らにパフォーマンスを披露してくれた。すると、今度はマイクの妹さんも帰ってきて、今度は炎を飲み込む技を見せてくれた。アラスカンは中々のエンターテイナーだ。

アラスカの定番朝食。ボリュームがすごい。アラスカの定番朝食。ボリュームがすごい。 photo:Koh.Kitazawaその家に泊まるマイク、ギル、ポールを残して、僕らは町の中のスシトナ川沿いのロッジに向かう。部屋でシャワーを浴び、ロビーでロッジのオーナーらしき初老の男性に食事ができる場所がないかと聞くと、最初は行き方を教えてくれたのだが、「いいや、連れてってあげよう」と町まで車で連れてってくれることになった。こういう親切は地方特有のものだろう。最初に行ったバーは食事が出せないというので、隣のダイナーに入って、さっそく地元のクラフトビールとサラダ、そしてハンバーガーを頼む。久しぶりの生野菜が体に沁みわたるようにうまい。ビールをお代わりして、満足して支払いを済ませる。外は真っ暗で、当然、すごく寒い。マイナス10度くらいだろうか。星を眺めながら鵜飼さんとロッジまで20分ほど歩いた。

翌朝、マイクから連絡があり町のカフェで食事をすることになった。バイクの用意をして、出発。アラスカの定番朝食は、かなりのボリューム。すると隣のテーブルに、2015年に日本で開催されたSSWC(シングルスピード世界選手権)にも来てくれたアンカレッジ在住のハイディがいた。ボーイフレンドのボークがスタート時間を間違えて40マイルのスタート時間にスタートしてしまい、途中のエイドステーションでビールを飲んで待っているということだった。

え?レース今日なの?道理で町中を真剣に走っている人たちがいるなーと思っていたら、レースは明日ではなく今日なのだった。60マイルと40マイルのレースは既に始まっていて、僕らの出る20マイルクラスのスタートの12時までは、あと1時間くらい。これはヤバい。鵜飼さんと二人で急いでホテルに戻りレースの準備にかかる。30分ほどで準備を終え、町の目抜き通りに設置されたスタート地点に戻ると、既に多くの参加者が列を作ってスタートを待っていた。天気は晴天で、少し汗ばむくらいだ。

スタートを待つ鵜飼さん。20マイルクラスは100人くらい。スタートを待つ鵜飼さん。20マイルクラスは100人くらい。 photo:Koh.Kitazawa
スタート地点で記念撮影をしていると、マイクから、「最初の大きな坂の上で待ってろよ。ビール飲もうぜ!」との誘いが。そしていよいよスタート!街中を抜けて、アイスバーンの国道を抜けて、森の中を走る舗装路をドンドン飛ばす。みんなかなりマジだ。鵜飼さんはトップ集団に入ったみたい。僕も前から20番手くらいだろうか。数十台のファットバイクのスパイクタイヤがアイスバーンをギシギシと削る音が森にこだまする。

いよいよ森のトレイルだ。まだ道幅はあるし雪もしまっていて走りやすい。暫く行くと、大きな坂が見えてきた。これがマイクが言っていた坂だな。10分ほど格闘して、なんとか登り切る。途中から押している人もいる。登り切って、マイクたちを待つかどうか考えたけど、レース開始からまだ30分くらいしか経ってないから、スルーして先を急ぐことにした。これが後で正解だと分かった。

そして下りに入り、しばらく行くと道が細くなり、しかも雪がグズグズで走れない。雪はかなり深く、バランスを崩して足を着くとズボッと埋まる。ゲーターを忘れたため、靴の足首のところから雪が入り、雪を取るためにいちいち手袋外して、靴を脱いでっていうのが、とても煩わしい。登りでは押して、下りでは乗るのだが、派手に転ぶとステムが曲がってしまい、工具を出して直して、また転んで直してと、カーボンフォークのコラムに滑り止めを塗布するのを忘れたことを恨めしく思う。

レース中の貴重な写真。写真を撮る暇があまりなかった。レース中の貴重な写真。写真を撮る暇があまりなかった。 photo:Koh.Kitazawa
そんなこんなで順位をまったく落としてしまったが、レースを続ける。一度、道路に出ると、参加者たちが集まってビールを飲んでいた。私設ビールステーションだ。近所のおじさんが6パックのビールを幾つかもって来てレース参加者を勝手に応援しているのだ。僕もご相伴にあずかり、アラスカのローカルビールを飲みほす。あー、うまい!火照った体がビールで解けていくようだ。10数分そこで休み、ビールをご馳走してくれた男性にお礼を言って再スタートを切った。

エイドステーションならぬ、ビールステーションがアラスカ流エイドステーションならぬ、ビールステーションがアラスカ流 photo:Koh.Kitazawa雪が締まっていないところを走るのは本当に難しく、リアタイヤがちゃんと前に進むようにバイクのバランスをまっすぐに保たないと、すぐにリアタイヤが右や左にスリップしてしまう。登りでタイヤのグリップをかけるのも難しい。そんなことをやっていると体力がどんどん奪われる。それでも森の中は美しく、締まった雪のアップダウンを快調に飛ばし、スピードに乗ってうまくバイクをコントロールしてコーナーを抜けると気持ちが高揚していく。「アラスカの森を駆け抜ける、俺はウルフだ!」とビールの酔いもあり、そんな妄想をしながら息を切らせて、ひたすらに距離を稼いでいく。

すると、3時間くらい走ったところで、エイドステーションが現れた。みんな楽しそうにビールを飲んだり、たき火でソーセージを焼いてホットドッグを作って食べている。すぐ後ろから、イギリス人のギルも来た。二人で乾杯する。マイクたちはずーっと後ろだそう。ビールを飲んでばかりで動かないから、置いてきたという。そこでレースを見学していたノルウェー人の男性に会った。背が大きく、がっしりしていて、前の週に開催されたイディタリロッドというレースに徒歩で参加したらしい。

ファットバイクも元々は、オリジナルの犬ぞりレースは1900キロにも及ぶ、この雪道レースに自転車で参加するために生まれたのだ。今年のレースは天候が大荒れで大変だったそうだ。ここアラスカの地は、徒歩やスキーや自転車で数百キロ、時には数千キロの雪道のレースが開催される、極めてエクストリームなレースの中心地であり、世界中からそんなおかしな人たちが集まるところだということを知った。

デナリ山、マッキンリーがレース中に現れた!デナリ山、マッキンリーがレース中に現れた! photo:Koh.Kitazawa
さて、ビールを2杯ほど飲んで少し休めたので、また走り出すことに。約30キロのレースの残りはあと3分の一ほどだ。ここからは気温が上がったことで雪が解け始め、走行が難しい箇所が増えてきた。それでもなんとか走っていると、凄い景色が見えてきた。何組かが立ち止まって記念撮影をしている。川の向こうにそびえたつ、荘厳なオーラをまとったその山は、デナリ山、マッキンリーであった。たいして登山には造詣がない自分でも、この山の神々しさは胸を貫いた。植村直己さんのことがあるから、余計そうなのだが。ここに来ることは、ある意味自分にとっての人生のマイルポストの一つであった。

デナリ山の山景を目に焼き付け、自分なりに心の中で植村直己さんを弔い、そしてまた走り出した。大きな下りが増えてきた。こういう場合は、サドルからお尻を前に大きくずらし、トップチューブに乗って片足を出して下るしかない。こうして、なんとかバランスをとって下るのだ。デナリ山の眺望のところで一緒だったアンカレッジ在住の夫妻と一緒に走る。彼らは普段そんなに走らないらしいがしっかり速いので、アラスカの人たちの元々のフィジカルな強さには舌を巻く。

デナリ山は、神々しいまでに美しかった。。デナリ山は、神々しいまでに美しかった。。 photo:Koh.Kitazawaそこから下に降りると、そこはもう雪が解けてグズグズで、バイクを押していくしかない。道がぼこぼこしていて、押して歩くだけでも大変だ。途中で会ったやたらと長身で、サドルが高くてハンドルが低いクロカンポジションの60マイル参加者の男性は、なんとビンディングペダルだった。記録を狙うとビンディングになるようだが、あんな雪の中、どうやってクリートをはめたり、バイクを押したりできるんだろうか。

長い押しが終わり、やっと少し走れるようになって、それからも随分と走ったが、なかなかゴールが近づかない。この時は一人で走っていたので、なにかの間違いじゃないかなと不安に思っていたら、やっと行きに通った道が見えてきた。ふえ~、やっとゴールだー、と安堵の気持ちに包まれ町のゴールを目指す。町に着くと多くの人がゴールしていて、ビールを飲んでのんびりとしていた。ゴールに着き、ゼッケン番号を申告し、しばし疲れで呆然としたのち、前日夕食を取ったダイナーに入ってビールを購入。そして、一人乾杯した。

ロッジに戻ると鵜飼さんはかなり前にゴールしていたようだ。ずっと待っていたが、汗で体が冷えすぎたので、先にロッジに戻ったそうだ。おそらく20位くらいだそうで、さすが鵜飼さんであった。ビールステーションでも何も取らずに、休憩なしで走り続けたという。ロッジではゆっくりシャワーを浴びて、疲れと寒さでこわばった体をほぐした。

少し休んでレースのアフターパーティに出発。会場で料理とビールを受け取り、食べていると表彰式が始まった。僕らが出た20マイルであの大変さなのだから、40マイルや60マイルは正直、想像すらできない。雪に慣れていないとは言え、かなりハードなレースだったからだ。王滝100㎞には何度かシングルスピードで走っているが、20マイルで王滝と同じくらい大変だったように思う。40マイルや60マイルはあれを2周、3周するのに近いくらいのハードさだろう。60マイルで優勝した女性は長身の痩せた若い女性で、ウルトラマラソンの参加Tシャツを着ていたが、そういう恐ろしくフィジカルにフィットな人たちだけが挑戦できる世界なのだろう。

いい加減疲れたので、8時過ぎにもうロッジに戻ろうとなり、外に出たら既に暗くなっていた。すると、ポールがちょうど帰ってきた。どこにいたんだい?と聞いたら、今までレースしていて、今戻ってきたらしい。ずーっとコース上で飲んでいたんだろう。恐ろしい。付き合わなくてよかった。もう帰るというと、えー!これからパーティじゃんと、悲しそうな顔。じゃあ少し付き合うかと思ったが、やはり疲れていたので少しして先に帰ることにした。ロッジに戻り、ベッドに入ると二人ともあっという間に寝入ってしまった。



凍結したスシトナ川でサイクリング!楽しい!凍結したスシトナ川でサイクリング!楽しい! photo:Koh.Kitazawa
翌日は飲み過ぎのマイクを置いて、凍結したスシトナ川をサイクリング。ここからもデナリ山が見える。デナリ山を肴にビールをグビリ。風が出るとすぐに気温が下がる。大きな空に鷲が舞っている。そんな中で自転車を停めて、デナリ山登山のこと、氷河のこと、1989年に起きた史上最大の人為的環境破壊と言われるエクソン・バルディーズ号座礁の原油流失事件のことなど、アラスカの自然と環境保護、そしてアウトドア活動のことをいろいろと聞いた。

その日の午後にアンカレッジに戻り、翌日はアンカレッジから2時間ほどドライブしたところにあるポーテージ湖にポーテージ氷河を見に行く。国道から脇道に入り、車を停めてバイクの準備をする。気温はマイナス10度を下回っているようなので、念のためハードシェルのアウターをステムバッグに入れて出発。

低い丘を越えて湖に出ると、一面雪と氷に覆われた広い白い世界が現れた。氷結した湖を走り出すが、この感覚と言うのは、ちょっと中々他に比較することができない痛快さがある。スムーズな氷の上を、どこを走ってもいいのだ。たまにピキッと氷のひび割れから聞こえてくる音に背筋が凍るが(氷の厚さは数メートルあるので割れることはないらしい)。

楽しいけど、さ、寒い!楽しいけど、さ、寒い! photo:Koh.Kitazawa
氷河が見えてきた!氷河が見えてきた! photo:Koh.Kitazawa
この奥に氷河があるという。氷河と言われても見たことがないから、どんなものか分からないのだが。氷の塊みたいのかなと思っていたが、それは少し想像とは違うものだった。氷河とは、谷にたまった雪が重さで固められ、それが重力で流動する氷の塊だ。他の雪や氷と違って、青みがかっているのが特徴だ。ミネラルの関係で青く見えるのだという。どんどん青い塊が迫ってくる。近づくと、危ないから大きな声を出してはいけないと言われる。昔はもっと何キロも手前まで来ていたそうだが、温暖化の影響でここまで後退してしまったそうだ。

このなんとも淡い青い巨大な氷の塊は、漠然と思っていた氷河のイメージを大きく超える、とても素敵な自然の造形物であった。数万年単位で動いている地球とそれを取り巻く大気の大きなサイクルに触れられた、そんな感動的な体験だった。

ちっぽけな自分が、ちっぽけな自転車に乗って、凍結した湖を渡って氷河を見に来た。はるばる日本から。そしてこれは、シングルスピードのマウンテンバイクに乗る、世界でも極めて稀有な種族の、世界的な繋がりがなくては成立しなかった出来事なのだ。この日は、長大な自然のサイクルを見に行く、僕の人生でもっとも贅沢なサイクリングだった。

氷河の前でニッコリ記念撮影を決め込む日本人2人氷河の前でニッコリ記念撮影を決め込む日本人2人 photo:Koh.Kitazawa
氷の上を走るには、特別な体験ですが、やっぱりちょっと怖いです。氷の上を走るには、特別な体験ですが、やっぱりちょっと怖いです。 photo:Koh.Kitazawa
氷河から湖の入り口までの帰り道、湖上は風が出てきてかなり冷えた。お腹も空いてきた。車に戻り、アンカレッジを目指す。途中のガソリンスタンドに併設されたコンビニでホットドッグとコーヒーを買って、腹に詰め込む。やっと少し落ち着いた。帰りの車の中で、まだ数日あるが、既に旅のクライマックスを迎えたことが分かった。もう、これ以上はないだろう。疲れていたこともあるかも知れないが、旅が終わったことを知った。

アンカレッジに戻り、数日後僕らは日本への帰途についた。帰国後も、あまりにも特別な体験に、ちょっと体が発熱したような感じで、しばらく落ち着かなかった。この特別な体験を可能にした二つのことがある。一つは前述した、シングルスピードの世界的な繋がり。2014年に僕らがアラスカまで行って招致に成功し、翌年の日本でのSSWC開催がなかったら、この旅は実現していなかっただろう。このシングルスピードのカルチャーについては、来週からちょうどスコットランドへシングルスピード欧州選手権に行くので、このことも機会を見て書いてみたいと思う。

ちっぽけな人間と、おっきな自然ちっぽけな人間と、おっきな自然 photo:Koh.Kitazawa
そして、この旅を可能にしたもう一つがファットバイクだ。アラスカの特異な自然環境から生まれ、そして世界に伝播し、カルチャーが世界中で育まれている。それは日本でも例外ではなく、釧路の湿原や、八ヶ岳や、みやぎ蔵王、そして鳥取砂丘で、ファットバイクのカルチャーが根付いているのだ。このファットバイクのカルチャーについては、まだ日本ではまあまり知られてないこともあるので、もう少し深く調べて記事を書きたいと思う。アラスカでファットバイクが生まれ、発展した歴史、そしてその後について。次の記事もお楽しみに。

text&photo:Koh.Kitazawa