タイで開催されたアマチュアステージレース、「ツアーオブフレンドシップ」に参加された小村夫婦。クイーンステージとなる3日目からの後編レポートが届きました。前篇レポートはこちらから。



第3ステージ:距離132km 獲得標高1600m(女性は距離88km 獲得標高944m)

ステージ3の朝を迎えたステージ3の朝を迎えた 今日は5日間で最も過酷とされているクイーンステージだ今日は5日間で最も過酷とされているクイーンステージだ ダブルボトルでは全く足りない水の補給はサポートバイクが手厚くフォローしてくれるダブルボトルでは全く足りない水の補給はサポートバイクが手厚くフォローしてくれる (c)TOF R1 media team水を受け取り、飲んだり、頭からかぶる。隣りの選手へシェアもする水を受け取り、飲んだり、頭からかぶる。隣りの選手へシェアもする (c)TOF R1 media teamさてどうしたものか。

5日間のレースのうち、2日目が終わっただけだというのに既に私は満身創痍だった。今日また脚が攣ってしまわないかと恐ろしくてたまらない。ボトルに溶かすもの、タブレット状のもの、攣ったら飲むもの、お灸シール…。効きそうなモノのありったけを身につけた。

5日間で1番過酷なクイーンステージの今日も女性はオープン、マスターズ、ジュニアのカテゴリーと共に走る。オープンはトップカテゴリーなわけだし、マスターズは60代以上と言えど猛者はたくさんいる。女性陣はそんな人達に脚を合わせるのではなく後ろで固まって独自のレースをすれば安全だし疲れないのに、と思ってしまうが総合1位のグレースを含む多くの女性は集団の前方に位置する。

やれやれ、嫌でもそこにいないと順位争いは出来ないということね。細かいアップダウンのたびに集団の上げ下げがあるが、その度に男性に張り付く。それさえ出来ればちぎれない。

スタートして10kmにもならない頃、ぱんっ!と突然私のすぐ後ろで音がした。パンク。周りが動揺する。同じく私も焦る。実は一度としてパンクを経験したことがないからどんな感覚かわからないのだ。誰だ?まるでインパラの群れに突如銃弾が撃ち込まれたような気分だ。

振り返ることも出来ず、走り続けるしか出来ない。そう言われてみればなんだか車体がガタつき出した気もする、頭を下げて後輪を見るが、凹んでいるのかいないのかわからない。いや、いいから進もう、前に進んでダメなら止まればいい。結局、パンクは他の選手。ガタつきは不安からくる気のせいだったのか。

今日は40kmを過ぎるあたりから登りが始まり、その先54km地点に山岳ポイント(King of Mountain、以下KOM)がある。この登りで集団は確実にバラバラになることが予想されていたけれど、いつまで集団にうまく乗っかり体力を温存しながら登れるかが重要だ。

…と思っていたが登り初めであっさりとちぎれ、その後集団は完全に崩壊した。負け惜しみのようだが、おかげで気が楽になった。ここで集団にぎりぎり残れそうだと無駄に頑張っていたら、ゴールまで脚が残らなかったかもしれない。つづら折りのはるか先にディズニープリンセスちゃんが登っていく姿が見える…、アヤチームのエースもいる。やっぱ速い。すごいや、みんな…。

2位争いのゴールスプリント。ぶっちぎりの1位は全くノーマークの選手だった2位争いのゴールスプリント。ぶっちぎりの1位は全くノーマークの選手だった (c)TOF R1 media team
太朗は2位だった。長髪を結んだ欧米人の選手が独走で1位だった。2位以下に4分差をつけて圧巻の独走ゴール。彼はKOMの掛かる登りで、残り90kmを残してアタック。てっきりKOM狙いかと思って放置したら違ったのだ。後で知ったのだが、なんとこのファリス・アルサルタン選手、アイアンマンの元世界チャンピオンだった。まったくのノーマーク、もちろん攻略BOOKにも作戦会議にも出てこなかった。なんでそんな凄い選手がこんなところに?という驚きもあるが、冷静に考えれば一緒にレースを走っているというだけで身に余る光栄だ。競技が違うとはいえ元世界チャンピオンに真っ向勝負を挑む、という貴重な経験をみすみす逃したのを太朗は悔しがっていた。もちろん振りちぎられたかもしれないのだが。

2位以下の攻防は、登りで15人程度に絞られた集団内で有力選手がアタックを繰り返す消耗戦の末、残り10kmを切ったところで3人が抜け出し、そのスプリントを制した太朗がステージ2位、総合2位となった。チームの期待には十分応えられたが、目標とする総合1位はアルサルタンでほぼ決定的となってしまった。

今日の夕食は川辺でガーデンパーティー今日の夕食は川辺でガーデンパーティー 1位に立ったのはなんとアイアンマンの元世界チャンピオン、ファリス・アルサルタン選手だった1位に立ったのはなんとアイアンマンの元世界チャンピオン、ファリス・アルサルタン選手だった

レースの動画が編集され、毎晩流れるのも楽しみのひとつだ。「あ、あれアタシ!」レースの動画が編集され、毎晩流れるのも楽しみのひとつだ。「あ、あれアタシ!」 パーティーのその脇で、明日の作戦会議をするチームメンバー。守りに入るか、攻めるのかパーティーのその脇で、明日の作戦会議をするチームメンバー。守りに入るか、攻めるのか


このクイーンステージはタイムアウトによる足切りが無いにも関わらず、10%以上がDNFという過酷なステージとなった。ダムの湖畔の細い道を進む中盤以降では、急に牛の群れが現れて徐行したり、集団内で貴重な水をシェアしたり、「もっと登りのペースを落としてくれ」の要求に「もっと英語のペースを落としてくれ」と応えて疲労困憊の集団が和んだりと、なかなかドラマがあったそうだ。2位は残念だったが明日からチャレンジしたい。積極的に攻める。ゴール後の表彰式でアルサルタンに「君の総合を獲りにいくよ!」と話しかけると、「俺はロードレースのゲーム(駆け引き)はわからないからお手柔らかに頼むよ」と言われた模様。

夕飯後、いつものようにミーティングが始まった。総合2~4位がわずか7秒差であり、場の流れとしては2位を確定させようと。総合3、4位の動きに注意しつつ、太朗でステージを狙う、と話は固まりつつあった。最後に、メンバーはいつも太朗の意見を聞く。お前はどうしたい?と。太朗は、「俺はエスケープしちゃだめなの?」と聞いた。メンバーはどよめき、確認した。「4分差の総合優勝に挑む?世界チャンプ相手に?」太朗がイエス、と静かに頷くと、皆は黙って拳を突き合わせ、明日の幸運を祈った。

第3ステージ結果
サチ 8/21位(総合11→8位)
太朗 2/約70位(総合5→2位)



第4ステージ:距離103km 獲得標高846m

今日は集団のスピードが速くなることが予想される、なぜだか太朗ら30代グループと一緒に走るからだ。太ももの付け根、落車であざになった右膝、左の二の腕、あちこちが痛いがそれもあと2日の我慢だ。

ここに来て、私に思いがけない知らせが入る。一般的には平日となる今日、選手の中には仕事のために大会を離脱した人が複数人いるというのだ。私より上位に位置していた女子も数名が帰国したという。昨日までの総合順位が8位、だいぶ棚ぼた的な話だが表彰台も見えてきた。

大会4日目。いよいよ残すところあと2ステージだ大会4日目。いよいよ残すところあと2ステージだ めいめい朝食を済ませ、着替えてスタート地点へめいめい朝食を済ませ、着替えてスタート地点へ (c)TOF R1 media team


40km程までレースは動かないから、せっかくだし今日は俺の後ろに付いて走りなよと太朗が言うので共にスタートした。確かに、普段なら私は彼の後ろを走るのが一番安心できる。彼に「サチならこのペースで走れる」と言われれば走ることができる。

しかし、さすがに今日はいつもより緊張する。目の前で太朗が他の選手と和やかに会話を楽しんでいるが、よそ見をしないでくれと願ってしまう。さて少し前に行くよと太朗は大胆に集団の中で動く。それについて行くのさえ一か八かの思いだ。緩く長い登りにも「耐えてついて来い」と振り返りながら自分のおしりを指さし睨む。

今日は太朗らと共に混走。しばらく彼に付いてみることに今日は太朗らと共に混走。しばらく彼に付いてみることに アップダウンが続こうが、遅れを取らず集団に残るが吉アップダウンが続こうが、遅れを取らず集団に残るが吉 (c)TOF R1 media team水玉の山岳ジャージは我がチームのマイク水玉の山岳ジャージは我がチームのマイク (c)TOF R1 media team時にタイのスパイスの効いた香りを浴びながら走る時にタイのスパイスの効いた香りを浴びながら走る (c)TOF R1 media team40kmが過ぎ登りが始まると、予想通り集団は動いた。逃げ出す選手、追いかける太朗ら、そして静かに落ちていく私…。それを尻目に、集団復帰を狙って上がっていく女子が2人。やっぱりディズニープリンセスちゃんと台湾女子。さすがだ。ここで頑張れるかで結果が違うのだろう。

こぼれた男性らに食らいつきながら何とか登りを終えた。下りで遅れを取ると、また次に現れた別の男性陣に牽いてもらった。大きな塊となって動くことで風を受けることなく体力を温存しながら、自分一人では到底出せないスピードで走り続けることが出来る。女子だけで走ったほうが安全だと思っていたが、男性と一緒に走れるからこそ5日間女子が毎日100km前後を走り続けられるのだと気がついた。そう、非力な女性が生き延びる上で男性にいかに上手に頼れるか、それはどこかの社会に限らず重要なのだ。

せっかく大胆な悟りをしたというのに、平坦が続くと男性陣のペースが速まり置いてきぼりを食らってしまった。向かい風をしっかり浴びながら直線をひた走る。やっと左折したのにまだ風が強い。水を乗せたバイクどころか、地元の車も走らない場所で1人になってしまった。足元にはトカゲの死体が干からび始めている。

『孤独』ではなく『孤独感』が人を寂しくさせるのだと誰かが言っていたのを思い出す。今、私は孤独感を感じている。

両側にどこまでも続く畑で笠をかぶった男性が死神のような鎌を振り回し、草刈りをしている。ある家の玄関先ではニワトリを追いかける子どもと、それを見守る母親。ああ、外国を走っているんだ。

ひとりぼっちを決め込んでいると後ろから自転車に乗る人影が見えた。女子かもしれない。女子だった場合、表彰台を争うかもしれないのに、一緒に行こうと言ってOKしてくれるだろうか?もしくは無理やりにでも後ろについていくべきか?追いかけてくる向こうのほうがペースが速そうだ。

よし、何が何でも必ず合流しよう、と覚悟したが現れたのは男性だった。タイ人の彼の名はオーク。私、今日入賞するかもしれないのと言うと喜んでアシストするよと言ってくれた。まさかそれが棚ぼたで、完走するだけで可能性が充分にあるなんて言えなかったが。彼はだいぶ疲れているらしく登りの度に苦笑いをしながらごめんと謝ってくれたが、同じく疲れていた私には都合が良かった。徹底して前を牽き続けてくれるオークにパワージェルをおすそ分けしながら気づけば40km程を共にしていた。

今日のゴール地点、ダムへの入り口が現れた。ここから後1kmというところで6%程の登りが現れると聞き、恐れていた。いよいよ登りが始まったその時に40代カテゴリの集団が現れた。

カモン、サチ!

チームメイトにそう言われて思わず飛び乗った。振り返るとオークははるか後方でふらふらと登っている。ごめんオーク、でも彼はわかってくれているはずだ。俺よりいい男を見つけたならそれに乗っかって行けと言うはずだ。心の中でそっとオークにありがとうを言いながら、これまで温存させてもらった脚で集団について行く。

オープンカテゴリーのチャンピオンジャージの選手オープンカテゴリーのチャンピオンジャージの選手 (c)TOF R1 media teamラストが頂上ゴールの今日。最後までペース配分に気を使うラストが頂上ゴールの今日。最後までペース配分に気を使う (c)TOF R1 media team


斜度が緩むが、集団は踏み続ける。ゴールに向けてこのまま突っ込むのだろう。カメラマンを乗せたバイクも真剣な顔で並走する。再び斜度が強まる。さすがに無理だ、そう思っていると俺に乗っかりな、と新たな男性に声をかけられる。勝手に人生一番のモテ期を噛み締めながら、次から次へ男性を鞍替えしゴールを目指す。

あと1kmと言われてからだいぶ登ったのに、今更ラスト500mの看板が出てきた。これ絶対嘘だろ。まだ登らせるのか。木立の隙間からダムが見えてきた。登りが終わり、ラストは直線300mと行ったところか。息を整える。せっかくだからここは踏もう。絶好のスプリントポイントだ。突然私にスプリント勝負を持ちかけられて驚き顔のおじさんと共にゴール。

登りで牽いてくれた男性が私の肩を叩きゴールを祝ってくれる。既にゴールしていた太朗は、40代のチームメイトに結果を聞かれ、”I win! I win!!” と喜びを分かち合っていた。さて、私の順位はどうだっただろうか。期待はしていない、期待はしていないが会場にいる女子選手を目が追ってしまう。あれ?1、2、3、4…5人いる。ということは…5位逃したか?

2位と20秒差を付けて太朗が再びステージ優勝2位と20秒差を付けて太朗が再びステージ優勝 (c)TOF R1 media team
私も無事ゴール。不意に勝負をかけられて驚き顔のおじさんと共に私も無事ゴール。不意に勝負をかけられて驚き顔のおじさんと共に (c)TOF R1 media teamレース後半をずっと牽き続けてくれたオーク(イケメン)レース後半をずっと牽き続けてくれたオーク(イケメン)


オークがゴールした。順位はさておき、お礼を言いに駆け寄った。サングラス外した彼は想像以上にイケメンだった。ジェルを共有した淡い思い出を反芻していると太朗が現れ俺の妻を牽いてくれてありがとうとオークに握手を求めた。オークからは可愛い彼女を紹介された。風船のように浮き上がった私の心はむんずと引き戻されたのだった。

太朗は再びステージ優勝を決めた。今日のラストの登りは大柄なライバルに対して小柄でキレのある太朗にアドバンテージがあった。最後は抜け出し独走だったので総合ではトップから20秒のタイムを稼いだ。しかし昨日決意した逃げは何度か試みるもマークが厳しく、成功しなかった。

第4ステージ結果
サチ 6/14位(総合8→6位)
太朗 1/約70位(総合2→2位)



第5ステージ:距離92km 獲得標高278m(女性は距離60km 獲得標高108m)

いよいよ最終日だ。

今日は全くの平坦ステージ。朝食を食べに行くと、チームメイトから今日こそサチの日だね、と冗談ぽく声をかけられる。いやいや、平坦ステージとなると昨日までおとなしかったカリーナが再び存在感を現してくるはずでしょう?そうなると私は更にポディウムから遠のくはず。そう伝えるとじゃあ彼女について行けばいいじゃないか、と太朗。うーむ…。

今日は必ずやゴールスプリントがあるだろう。集団のペースはまたとてつもなく速いかもしれない。落車、怪我、パンク…今日こそ深刻な何かが起きてしまうのではないかと脳裏をよぎる。そしてその想いに頭を振り、今日も何も起こらないことを願う。

最終日はスタートの前にホテルのチェックアウトもしなくてはならない為いつもより頭を使うが、だからと言ってストレッチを疎かにしないようにと心を落ち着かせる。服をバックに詰めるのも、クローゼットの忘れ物確認も、大きな筋肉を伸ばしながら行う。

チェックアウトを済ませたホテルのロビーでカリーナに会った。おはよう、今日はカリーナの日だね、私付いてくからね、と冗談混じりに言うと、いいわよ、そしたらサチが1位で私が2位で行こうじゃない、とウインクを返される。私にスプリント獲れって?そして私はスタートラインに並んだ。

いよいよ5日間のレースが終わる。どことなく晴れやかなムードだ。香港の3人娘を見つけて、なんとなく後ろに並ぶ。彼女らが私の総合の前後にいるし、走りも綺麗だからという理由からここ数日のクセになっていた。ふとカリーナの居場所を探す。ほぼ対岸のような場所に彼女はいて、その後ろにシャーリーが陣取っていた。しばらく考え、既に隙間なく自転車と選手が並ぶ中を謝りながら強引に移動し、カリーナのそばにスタート位置を変えた。

いよいよ最終日、スタートに並んで台湾女子3人組といよいよ最終日、スタートに並んで台湾女子3人組と オーストラリアのトラック選手、カリーナとオーストラリアのトラック選手、カリーナと (c)TOF R1 media teamカーブの立ち上がりも彼女の後ろにいなければちぎれてしまいそうだったカーブの立ち上がりも彼女の後ろにいなければちぎれてしまいそうだった (c)TOF R1 media team機材トラブルがあった場合の回収方法がこちら。さすがタイ機材トラブルがあった場合の回収方法がこちら。さすがタイ (c)TOF R1 media team決めたのだ。シャーリーに、私今日はカリーナに付いていくね、と宣言した。いいけど、今日ポディウムを狙うならグレースに付くべきよ、とシャーリー。スタートラインの真ん前に居場所を与えられている総合1位の彼女の背中をちらりと見る。いや、さすがにそればどうだろう…。

レースがスタートした。初めの20kmはローリングだというのに、始まった瞬間皆飛び出して行く。こんな時にクリートキャッチに手間取ってしまった私は、早速カリーナに置いて行かれてしまった。自分に落ち着くよう言い聞かせ、集団のペースが緩むのを待っていると、なんとか集団の真ん中に位置を上げることができた。カリーナはもっと先にいる。

ふう。スタート直後に急激に上げた心拍を落ち着かせる。

改めて見渡してみると香港の3人娘がそばにいる。やっぱりここを選んでしまった。自分はここでいいのか。お前はこのままでいいのか。いま現在、ここで何位か数える。これでは入賞は出来ない。昨日太朗に教えてもらったように大胆に位置取りを変えてみた。綺麗な走りをしている男性を次々選んでは前へと自分のポジションを上げてゆく。気が付くと表彰台の常連だらけの場所にいて、さすがに出過ぎたかと思った矢先にカリーナが現れ、彼女の後ろに張り付いた。

辺りを見るとやっぱり香港の3人娘も上がってきていた。私が前でうろちょろしていたから焦って出てきたんだろう。ため息を尽きそうになる気持ちをこらえて太朗の言葉を思い出す。どうせと思っていたら何も出来ない。こんな時はポジティブな想像をするといいのかもしれない。カリーナとポディウムに乗る自分を想像してみる。…ははは、まだ半信半疑だ。

アタックがかかるたびに、集団のスピードは早まる。今日はいつも以上に派手に変化が起こる。とにかくカリーナの背後に身を潜めて食らいつき続けた。

ん?おかしい。しばらくするとカリーナが遅れだした。体格差がありすぎるのに、私が前に出てアシストしようとしたり、右からすっと手を伸ばし、総合ジャージのグレースが彼女のお尻を押したほどだ。これまで全幅の信頼を寄せていたが、もしかしたらカリーナを過信してはいけないかもしれない。勝手に抱いていた情を振り切り、総合1位のグレースの後ろに張り付いた。

気がつけば残り15kmだった。集団の速さと、湿り気を帯びた路面のせいで後ろを振り向けないが、きっと私のすぐ後ろに他の女性陣がいるはずだ。「絶対に獲る。」「絶対に獲る。」2度言葉にした。私の日本語などわかるライバルはいない。鳥肌を抑えながら、口に出して自分を鼓舞した。

いよいよ8kmを切った。男性陣に引かれながら、グレースの後ろをぴったりマークし彼女のシートステーだけを注視しながら、この先起こることに緊張していた。

あと5km、4km、3km…。誰が仕掛けるのか、それはいつ始まるのか。5分後の私はもうゴールラインを抜けているだなんて信じられない。お前の5日間が終わるんだぞ。台湾チームの誰かもすぐ私の隣にいたが、絶対譲るもんか、1mmでも前に出てやろうと構えていた。

いよいよラスト1km、そろそろスプリントが始まるぞとハンドルを握りなおして立ち上がろうとした瞬間、ゴールラインが足元を通過していった。

え…?あと800mあったんじゃないの?さすがタイ…。

集団は固まったままゴールし、私は悲願の3位入賞を果たしてしまった。信じられない、私にも出来た。ただただ、自分の可能性を信じたのだ。どこか鼻で笑いたくなる自分を無視したのだ。体中から湧き上がる喜びに、おとなしく立っていることさえ出来なかった。

私もやっと、念願の表彰台に立つことが出来ました!私もやっと、念願の表彰台に立つことが出来ました! 大会主催者カイさんと。明日からまた来年の打ち合わせが始まるそう大会主催者カイさんと。明日からまた来年の打ち合わせが始まるそう


傍らでカリーナが残念そうな顔をしていた。やはり今日は思ったようなパフォーマンスが出せなかったようだ。ふと我に返り、ごめんと謝った。体格にも経験にも差があるとはいえ、私の今日の入賞はひたすらカリーナに守ってもらえたことで手に入れることが出来たのだから。ステージレースで表彰台に乗るなんて初めてなのと言うと、彼女は顔をほころばせて一緒に喜んでくれた。

我々より30km多く走る太朗の到着を見届けるためにゴール地点に行くと、木陰に主催者のカイさんが座っていた。太朗の存在もあって、すっかり私の事を覚えてくれている彼女はこちらに座るよう手招きをしてくれた。彼らのゴールまでは30分ほどまだ時間がある。まさか今なおシリアスなレースが行われている時間軸と同じとは思えない程気持ちの良い木陰で、差し出されたコーラを片手にカイさんと肩を並べて話す。

まずは今年も本当に楽しませてもらったお礼を。そして私もいよいよ今日は3位になれたことを話した。カイさんは今年も無事にこうやって皆に助けてもらって開催できたこと、亡くなったご主人もきっと空の上から喜んで見てくれていると涙を流しながら話す。私は無力だけど、このイベントをやることで平凡だった人生がガラリと変わったのと。私も自転車に乗ることで人生が変わったのよ、と私はこのレースに出ることを目標にして来たことを話す。くれぐれも自転車事故には気をつけてね、大切な人も失わないようにね、とカイさん。

私の目の前で太朗以外の4人がゴールを争っている姿に、状況が掴めないサチ私の目の前で太朗以外の4人がゴールを争っている姿に、状況が掴めないサチ (c)TOF R1 media teamステージはチームメイトのハッカーが優勝、太朗は5位ステージはチームメイトのハッカーが優勝、太朗は5位 総合優勝は1位がアルサルタン選手、太朗は2位総合優勝は1位がアルサルタン選手、太朗は2位 (c)TOF R1 media team来年の開催の申込み、既に始まっております!来年の開催の申込み、既に始まっております! (c)TOF R1 media team遠くから太朗を含む6人の逃げの集団が現れた。

驚くことに彼はゴールスプリントに加わらず5位でゴール。当然ステージ優勝するものと思っていた私は、拍子抜けしたと同時に太朗に少し腹を立てた。一体何があったのか。勝負を投げたかに見えたが真相は違った。総合優勝を懸けて戦っていたのだ。

太朗は序盤からアタックを繰り返した。総合2位のアタックの意味を周りのライバルも分かってくれて、「今日はスプリント狙いじゃないのか!」「3分差に挑戦するんだな!」と笑顔で讃えてくれる。当然マークは厳しかったが、残り40km地点で渾身のアタックが決まった。総合2位、9位、11位、山岳賞が含まれる強力な6人の逃げとなる。総合優勝に向けた最後のチャンスだ。

逃げ集団では、チームメイトのマイク(山岳賞)とハッカーはもちろん、タイ在住の檜垣選手、ウォーラウット選手も男気溢れる走りで牽引してくれた。太朗はゴールに力を残す必要が無いので常に全力だ。メイン集団はチームメイトが抑えてくれているはず。去年の単騎参戦とは違い、レースをチームとして動かす楽しみは格別だ。

3分差を目指してベストを尽くしたが、総合首位のアルサルタン選手や総合3位、4位の選手らのチームの猛追もあり、最後は僅か19秒差の逃げ切りに終わった。最後まで振り返らなかったので後ろに集団が迫っていることにも気づかなかった。それでもステージ優勝はチームメイトのハッカーが獲り、終わってみれば良いレースだった。ステージレースの総合を懸けた逃げは本当にエキサイティングで濃縮された、レーサー冥利に尽きる時間だった。

TOF2016、5日間のレースが終わった。1年前、レースを勝ち進める太朗を応援していただけの私が、知り合った新しい友人達に「来年はサチも出たら」という言葉に冗談じゃないと笑っていた私が、今ここにいる。

「サチ、今度はマレーシアのステージレースに出ない?」シャーリーが私にウインクをする。

第5ステージ結果
サチ 3/14位(総合6→6位)
太朗 5/約70位(総合2→2位)




小村紗智(こむらさち)プロフィール

[img_assist|nid=201138|title=小村紗智(こむらさち)|desc=|link=node|align=right|width=220|height=]アウトドアアクティビティこそ好きだったものの、スポーツに打ち込む経験を持たないまま突入した30代でアマチュアレーサーの主人と出会う。まんまと自転車に乗り始め、まんまとハマり、まんまと向上心をくすぐられ、今では3度のメシよりライド中に食べる4度目のメシが好き。

レースにも参戦するが、自転車に乗ってずびゅーんと移動するその中で草木を愛で、土地の人と交わる事が好きな性分(タチ)。ちゅなどんこと石井美穂ら女性5人で結成した"SKRK Tinkerbell(シャカリキ ティンカーベル)"では、女性を中心としたライドイベントも随時企画中。

text&photo:Sachi.Komura

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