初めての海外レース参戦となったサチさんによる、ツール・ド・ビンタン参戦記。ついに、本格的なロードレースステージへと舞台は移ります。100kmを越えるロードレース自体が初となるサチさんのレポートをご覧ください。(前篇はこちらのリンクから



2016.04.02
DAY2: Stage1
距離153km 獲得標高1600m(女性は144kmで1500m)


バスでスタート場所に向かう。普段はのどかであろう場所に突如レース会場が現れる。けたたましいアナウンスやら音楽が聞こえ、控えのテントやテーブルが並んでいる。生活道路を占拠したスタート&ゴールは大勢の地元の方達が桟敷に並び、今か今かとスタートを待ってくれている。

今日は地元の子供達にとっては毎年恒例のお祭りのようなものなのだろう、会場にはおよそサイクリストには関係のなさそうなおもちゃや駄菓子の屋台まで並び、子供達が笑みをこらえきれない顔をして列をなしている。

2日目。スタート前の張りつめた空気が満ちている2日目。スタート前の張りつめた空気が満ちている
私は、今日もなるべく平静を装う。トイレに行っておこう、ボトルに水を補給しなくちゃ、あ、ガーミンの地図をダウンロードしておかなくちゃ、それから……ジェルをフラスクに移しておこう、ねぇ荷物はどこに置いておけばいいの?え?俺のカテゴリー何時スタートかって?やっぱりそわそわしてしまう。

チームごとに用意されたテントに集合するチームごとに用意されたテントに集合する 女子のスタートに集まる女子のスタートに集まる 男子に続き女子がスタートしたのが9時。144kmの長い戦いが始まった。前日に圧倒的な強さを見せていたSereneが主導権を握る今日のステージ、距離もあるしそんなに速いペースで走らないわよ、と彼女から聞いていた。たかだか12人の女子だけで走るレースでは、逃げだとかは決まりづらい。集団で走り、勝負の分かれ目は90km地点に設けられた山岳ポイント(King of Mountain、以下KOM)というところだろう。もしも、最後まで集団に付いてこれたらサチだって入賞の可能性は充分にあるわよとウインクされていたのだ。

小さいながら集団は2、3に列を成しながら進んだ。前を走るのはやはりSerene他、昨日の上位選手がローテーションをして牽引してくれている。さすがレース慣れしているだけあって彼女らの走りには安心感がある。ひとりひとりの走りを見ると、中にはふらふらと走る危ない選手もいた。とはいえ私はインドネシアを走っている事に喜びを感じていた。

想像ではもっと荒れた路面だと思っていたが、サイクリストを積極的に誘致するリゾート地でもあるこの場所はきれいにアスファルトが敷かれている。毎年恒例のこの行事を心から楽しみにしてくれいるのであろう、沿道には地元の人達、授業を一時中断して出てきたような先生に生徒たち、旗を振る幼稚園児を至るところで目にする。

次から次へと現れる、そんなほほえましい光景に目を細めながら、めいめい手を降って応えていた時にそれは起きた。まだ20kmも経っていないというのにアタックを仕掛けた選手がいるのだ。これにはSereneも反応せざるを得ない。必然的に速度を上げてアタックを潰す。その際もちろん私を含む全員がその速度に付いて行かなくてはならない。とんだ迷惑だ、まだ先は長いというのに!

人里を離れ細かいアップダウンが始まってもそれは続いた。チームジャージは着ていないが、アジア系オーストラリア人の2人が交互にアタックを仕掛けてくる。片方がアタックし、もう片方が我々の進路を塞ぐのだ。

1~2分のインターバルを繰り返し、少しずつ標高を上げていく。この先28km地点に本日最初のKOMが設置されている。海外選手は登りに弱いのでは、と期待していたのはとんだ誤算だった。結局のところ、日本で男性と一緒に走っているようなものだった。登りが始まるたびに、うつむきがちになる自分の視界から前の選手のスプロケットがずっと視界に入る消えないように走り続ける。何度となく現れるアップダウン。登りで少し差が付いてしまったら、下りを全力で踏んだ。まだ序盤だというのに、正直なところ必死だった。

ルート沿いにはたくさんの子供たちが応援してくれるルート沿いにはたくさんの子供たちが応援してくれる 思わず立ち寄ったエイドステーション思わず立ち寄ったエイドステーション KOMが見えた時、集団は崩壊した。私は駆け出すSerene達数人を静かに見送った。パラパラと残ってしまった選手達と共に走ってみようかと思うが、どうも上手くいかない。よほど体力が消耗していたのか、付いていけないのだ。ならば自分の後ろにいた選手と、と思って振り返ると彼女らは既に見えなくなっていた。
確か後ろに2人いたはずだが、私の背後にサポートバイクが走っているということは彼女らはリタイヤしたのだろうか。

実質私がこのカテゴリーの最後尾ということか。のんきに大きな声で歌を歌い続けるサポートバイクは、私がエイドステーションに入ると去っていった。

エイドステーション。良く考えればこれは同日開催されているグランフォンドの方々のためのものだった。レースにそんなもの用意されているわけがない。しかしそんなことは当時の私には及びもつかなかった。
ボトルの水も無くなっていた。

集団に居続ければ、サポートバイクから替えのボトルを手渡されるらしいのだが、もはや私にそんな恩恵はない。自分のボトルを手放すのも嫌なので、移し替えさせてもらう。お腹が空いていたのでアジアン風味のバームクーヘンと小さいバナナも2つ3つ頂戴した。その横を、レースかと思う速度でグランフォンドの先頭集団が去っていった。

さて、どうしようか。残り100kmの一人旅が始まった。マイペースで走れるのなら、体力に問題はなさそうだが、気になるのは日差しだ。日焼け止めをしっかり塗ったが、とうに汗で流れているだろう。腕が、太ももが、火照りを感じていた。

どこまでも続いていきそうな道を1人で走るどこまでも続いていきそうな道を1人で走る
こんなに暑い場所でも、子どもたちが沿道に出て我々を応援してくれている。中には、「ボトール、ボトール」とせがむ声まで。ははは、選手が次々に交換する大会公式ボトルを欲しがっているのか。

昼が近くなり、真上に登った太陽の光をハンドル中央のサイクルコンピュータが受けて、私の視界に激しく反射してくる。君まで私に何をしてくれるのだ?片方のグローブを外し、サイクルコンピュータに被せ黙らせた。

一人旅と決め込んで写真を撮っていると、グランフォンドの方が次々に私を追い越して行く。はたとひらめき、「I'm so exhausted, May I follow you?」と聞いてみる。もちろん答えはsure, だ。風の抵抗を受けやすい自転車という乗り物は、誰かの後ろにピタリとついて走るだけでかなり体力を温存できる。

陽射しこそ相変わらずだが、グランフォンドを楽しむこの男性の速度は今の私にちょうど良いスピードだった。意外に無口な男性だったが、沿道の子どもたちや過ぎゆく地元バイクに手を振ってやる時や、私の空々しい「Thank you for helping!」の連呼で浮かべる笑顔に人柄が現れていた。

15時を回る頃、やっと私はゴールに辿り着いた。

驚いたことにゴール前で太朗がカメラを構えていた。私より距離が長くとも彼が先にゴールしていることは想像していたのだが、明日に備えて早々にホテルに戻りリカバリーに励んでいると思ったのだ。ポーズを決める私に、「何があったの!!?」と心配そうな太朗。いや、もう最初からペースが速くてね…と答えるも、だとしたってこんなに遅くならないだろう、と太朗。

そうだね……、2度チェーンが落ちちゃったな。それ以上のメカトラ?何にもない。脱水症状?いやむしろ2回トイレに行きたくなって茂みに入って行ったらね、「蛇に注意しなよー」って男性に言われちゃったよ。力の抜けた顔で佇む太朗。

ゴールまでなんとか辿りつくことができたゴールまでなんとか辿りつくことができた
彼はというと、チームメイトが逃げたので太朗はメイン集団のリーダージャージをマーク、結局その逃げが決まってしまい、彼は集団内でのスプリントにトップでゴール、結果は5/69位。圧倒的に強いリーダージャージだったので勝ちにくるはず、と予測していたら伏兵を逃がす作戦だったらしい。太朗としては不完全燃焼だがチームプレイとしては正解だった、とのこと。

もうしばらくしたらサチも帰ってくるだろうと思っていたのに、待てど暮らせど帰ってくる気配がなく、大会スタッフに問い合わせるも「まだコース上を走ってるみたいです」と言われるし、この暑さだし、本当に心配していたのだ、と。

ねえ、だからさ、本当はなんかあったんだろ?と聞かれても、私にはエイドステーションでバウムクーヘンをおかわりしてしまった思い出くらいしか浮かんでこないのであった。

夜中の1時くらいにふと目が覚めた。リカバリーを全然していない。マッサージにストレッチ、これをしないまま朝を迎えると身体中が強張ってしまう事が容易に想像できた。

眠気よりも使命感に追われて体を起こす。まずは自分の筋膜リリースをする。ボールしか持ってこなかったけど、やっぱりフォームローラーだって必要だったな、持ち運びが面倒くさいのだけど。大理石の床に寝っ転がって、ストレッチを続ける。日焼けした太ももや腕が、ひんやりして気持ちがいい。明日は絶対にアームカバーをしよう。

さっさと自分の事を済ませ、寝ている主人の脚をマッサージする。今日の彼は我慢の日だった。チームメイトが獲りに行く番だったから第2グループの押さえとして働いたのだ。おかげで153kmを走ったというのに疲労感は少ないらしい。明日は彼の日だ。スプリントを見ていてくれたチームリーダーから明日のエースを託された。太朗がステージを必ず獲る。動けるように、攣らないように、マッサージを施し、再び5時の朝食まで寝床に戻る。



2016.04.03
DAY3: Stage2 
距離107km 獲得標高920m


スタートは昨日より1時間半早い。それだけでも気温は穏やかで、きっと走りやすい。昨日より距離は少ないから、気にしなくてもいいかもしれないけど朝食の食べ方を変える。試合前の王道とも言われているカーボローディングに徹する。

今日も相変わらず食欲のある私たちに、周囲から驚かれ羨ましがられる。しかしトップを走る選手を見回すと、それほど摂取していない。シリアルにフルーツだけだったり、フレンチトーストなどの甘いパンだけだったり。おまけに朝早くて食傷気味の顔だ。

なんでそれだけで走れるんですか?と聞くと、身体がもう慣れているんだと言う。全く信じられない。
私は昨日の朝も散々食べたのに30km地点でもうお腹が空いていたというのに!今食べなくちゃと、不安でたまらない。そっか、私はまだレース慣れしてないんですものね、そりゃそうだ。

太朗のグループ、CAT2が無事にスタートした。私達女子のスタートまで20分。焦らずストレッチを続ける。普段ストレッチをしても感じがちな背中の張りがないのはアドレナリンのせいだろうか。ただ、お尻の筋肉が痛い。昔はそれがなかった事を考えると今はだいぶいい走りが出来てるのだろうか。

スタートラインに並ぶと、わざわざ興奮を煽るような音楽のボリュームが一段と大きくなる。カメラマンの一同がカメラを向けてくる。隣に並ぶシンガポール在住の日本人トライアスリートのゆきちゃんが今のうちにちょっと補給しておこっと、と言うのでなんだか私もお腹が空いたような気分に襲われる。いやいやサチよ、お前は2時間前にあれほど食べたぞ。きっとゆきちゃんよりずっと食べたはずだ、緊張するな。

男子のスタートはやはり並ぶ人数が違う男子のスタートはやはり並ぶ人数が違う 各賞ジャージの3人各賞ジャージの3人 レースはゆっくりとスタート。すでに勝敗の行方はだいたい決まっていたので穏やかな走行が続いた。

スタートして6km程でスイカ柄のジャージを着たどこの国かの選手がチェーンを落とし、あっという間に離脱した。そうだ、私も昨日2度もチェーンを落としたんだった。一人旅だったから落ちるたびに対処して事無きを得ていたけど、今日集団ゴールしたいなら絶対に避けなければいけない。じゃなきゃスイカちゃんの二の舞だ。

ぐっと緊張が高まる。ギアチェンジの度にチェーンの動きを確かめた。

程なくして、スイカちゃんが顔中に汗を浮かべて復帰してきた。集団のペースが25km/hくらいだったから、猛烈に踏んでくれば追いつけたのだろう。「おかえり」と声をかけて思い出した。この子ふらふら走る子だ、昨日とジャージ違うから気がつかなかったよ、なんで戻って来ちゃったんだよ……。

漕ぐたびにふらつくのに集団の中央を位置取りしようとする彼女に、周りの選手と目配せをして注意を促す。みんな気がついていた。本日1度目のKOMは、昨日に比べて拍子抜けするような場所にあった。それにしても細かい登りで遅れる事に自分の弱さを痛感していた。登りで遅れても下りで踏んで追いつければ良いけれど、下りだって体重ある選手の方が速い。日本に帰ったら短いインターバル練に注力しようか。

40kmを過ぎた頃、平坦の広い道に出た。選手の多くが1本目のボトルを空にしている頃だったがエイドステーションはもちろん素通りしていた。じゃあ水が無くなったらどうすればいいんだと心配していると、横で選手がボトルを高く持ち上げて振りだした。すると、いつからそばにいたのかバイクが近づいてきて新しいボトルと交換してくれるのだ。なるほど、バイクと並走しながら空のボトルと新しいボトルを交換する。おお、出来た出来た、こんな事も私は出来るようになっていたのか、何も怖くないぞ。

Sereneがお水大丈夫?と私を気にかけてくれた。あなたチャンピオンだというのに、本当に優しい子だわ。
前方ではスイカちゃんもボトルを交換してと振っている。おいおい、頼むから気をつけてくれよ。

昨日より穏やかとはいえスプリントポイントが近づいて来ると、集団のペースは上がる。ギアチェンジは慎重に、自分のペースも大切に、そんな事を頭に浮かべながらアップダウンを繰り返すも、少しずつ広がった遅れを取り戻すことが出来なくなってきたのが70kmだった。

きっとまた集団は速度を緩めるはずだ、ゴール前に力を残すために。彼女らが28km/hだった場合、私は何km/hで走れば追いつけるんだろうか、ああこの辺の算数苦手だったんだよな…。大会車両がゆっくりと横切って行くのを見て後ろについてみる。集団走行と同じ要領で風除けにして楽に走るためだ。

すると車両は私の魂胆に気がついたらしく脇に寄せて停車する。んもう、意地悪。こうなったら、さっきから面白がって応援してくる地元バイクの誰かに掴まってみようか。バイクから水を受け取る要領で、肩でも掴ませてもらいたい。私を集団に戻してくれーー!

ああ、また私は集団に残れなかった。一度は経験したかった集団ゴールが叶わなかったのか。また一人旅が始まった。さて、これまでの平均時速が30km、1人で走るならどのくらいで走ろうか。25km/hで頑張る?、いやいや20km/hでのんびり?

そんな事を考えながら走り続けていると前方からふらふらと力なく走る女子選手が見えた。私の次にちぎれてしまったんだろう。

「大丈夫?一緒に走ろう。」と声をかけた。もうお互い順位など関係ない。体力の消耗を考えれば、1人で走るより2人で協力して走るのが絶対に効率的だ。しかし、彼女はもうスピードを出せないから先に行ってくれて構わないと言う。参加者の少ない女子のレースは、力を失ったものからちぎれ、一人旅を選ばざるを得ない傾向にあった。

いや、でも違うんだ。

私は日本でローテーション走行を練習してきて身に染みてるんだ。ローテーションは脚の合う人とやるのが前提ではないんだ、遅くても構わない、遅い人にペースを合わせるんだ、それでも単独で走るよりメリットがあるんだ、それを彼女に体現したかった。

一緒にゴールを目指そうぜ、私たち3日間走った仲間じゃないか。何度も彼女のペースを気にして振り返る。確かにだいぶ疲れているみたいだ、補給は足りてるんだろうか?よし、背中のゼリー飲料を彼女に分けてあげよう。まずは私が味見をする。うん、美味しい桃の味だ。日本の補給食のクオリティにきっと彼女、度肝抜くぜ。

登りが始まったので尚更彼女がついてこれるか気にかけ、ゆっくり登る。集団走行の極意、登りとカーブの立ち上がりは後ろに抜かれるほどの覚悟でゆっくりと、ってね。坂を登りきって彼女を振り返る。ええっ?だいぶ抜かれる覚悟で走ったのに彼女ははるか後ろだ!

がたんっ!

驚きの矛先は我が身へと転じた。私もだいぶ疲れていたんだろう。頂上から下へは大きく右にカーブし、左側には15cm程の段差があった。そこに広がる荒れた路面に落ちてしまったのだ。

がたがたがたっ!

思わずつぶりそうになる目を、ぐっと凝らした。ぐらぐらと揺れるハンドルをなんとか制御しようと努力する。ブレーキのかけ過ぎにも注意する。しかし下り基調でガレ場のような路面では車体をいなす事が出来ない。

無駄な抵抗を止め身体の力を抜くと、最後に地面にヘルメットがぶつかる衝撃を感じた。

あーあ、人生初の落車。倒れている私のそばを、彼女が横切る。はは、転んじゃった、でも大丈夫、気にせず先に行ってねと言おうと見上げると、彼女は私に一瞥もくれずに過ぎ去っていった。

…え?

登り切った先で、路肩に転落。人生初の落車となった登り切った先で、路肩に転落。人生初の落車となった
残り20km。ぶつけた左半身に特に痛みを感じなかったし、バイクへのダメージも無さそうだったが、即リタイヤを決意したのは、たまたま大会スタッフのおじさんがそばにいてくれたからだ。大人の英断と言ってもらえるだろう。

バイクと私を積んだオフィシャルカーに揺られ、15km、10kmと次々現れるゴールまでの距離が書かれたカウントダウンの看板をぼんやり眺めながら、リタイヤを即決した事の後悔を打ち消していた。

悔しい。ははは、私悔しいって思ってるわ。自分の実力の無さを、経験の無さを、お人好しっぷりを。おまけに1ヶ月後に控えたタイのレース、TOFに向けてどうトレーニングしてやろうか考えてる。車窓から先ほどの彼女の姿が見えた時、見つかるはずもないのにとっさに窓から顔を離していた。

ゴール会場に戻ると、驚いたことに太朗も数年ぶりの落車をしていた。結果は30/57位。3ステージの総合順位は23/50位。

今日はチームからエースを託されたのでより集中して走っていた。フィリピンナショナル君のアタックに反応するが強すぎて引きちぎられたりをしつつも、最後は集団でスプリント。連日のアップダウンと暑さの影響かそれなりに集団は絞られていた。絶好のチャンスだ。チームメイトで兄貴分のドイツ人、Thorstenの背後でスプリントに備えるもラスト1kmというところで位置取り絡みの斜行でハスって前走者の後輪に自分の前輪が当たってしまい、単独で落車してしまった。

チームメイトとはいえ安易に前輪を重ねてしまったことが反省点だ。加えてあれだけ英語で連日チームメイトとやり取りをしていたのに、落車の際には「あっぶね!」と日本語が出てしまったことも悔やまれた。とは言えペダルでの会話を通じ、チームメイトとの心の距離は縮まりTOFでの雪辱を固く誓いあったという。


全ては1ヶ月後のTour of Friendshipへと続く。