東京-松本ロングランイベントの主催者、鳴嶋英雄(なるしま・ひでお)氏にお話を伺いたく、初日の宿泊場所の美ヶ原温泉で、旅館の部屋にお邪魔した。

鳴嶋氏といえば、ロードバイク専門店として定評のある「なるしまフレンド」会長であり、JCRC(日本サイクルレーシングクラブ)の創始者。バイク歴数カ月の筆者にとっては雲の上のひとに感じられ、ナマイキなことをいって怒鳴りつけられたらどうしよう、とおどおどしながら入室したところ、

――ほんとは、会長じゃなくて「ひでじい」って呼んでもらいてえんだ

語尾が歯切れよくあがる江戸弁で言われ、緊張が一気に解けた。


なるしまフレンド会長 鳴嶋英雄さんなるしまフレンド会長 鳴嶋英雄さん

――実際に参加させて頂き走らせてもらったのですが、やはり誰でも参加できるわけではなく、ある程度練習した人向けのイベントだと実感したのですが?

会長:はじめた当初は参加条件なんてなかったんだよ。でもフラットペダルにサンダル履きの女の子が来て道に迷っちゃったりね(笑)。サポートしてくれる人たちの負担があまりに大きくなったので、参加者を限定するようになったんだ【※1】。

――それで、「なるしまフレンドクラブチームのメンバーかあるいは、過去に走ったことがあるひと」と参加条件を決められたんですね。このサイクリングチーム自体は誰でも参加できますよね?

会長:むしろ気軽に参加してほしい。脚力に自信がない人もOKだよ、いろんな人がいるから。

――メンバーは今、登録者600人以上と伺いましたが?

会長:もともとはレース志向のチームしかなく人数も少なかったんだ。5年前に、Eeeランと名付けてね(笑)楽しむことを主体にしたチームを作ったらあっというまに人数が増えたんだ【※2】。


なごやかに話がすすむうち、「ごめんください」、と声がして整体師さんが登場。マッサージを予約されていたとのことだった。時間ずらして出直します、と言いかけるより先にまた、「マッサージしながら話してもいいかな?」と気さくに言って頂いた。

整体師さんが太ももをマッサージしながら「すごいですね」、と感嘆している。筆者もお願いして触らせて頂いた。鍛え上げられたハムストリングスに驚く。鳴嶋氏は70歳をこえた現在も、この脚で年間1万5000キロ、チームを引っ張って走る。


会長:「でも、肺活量は1800ccしかないんだよ。握力も29kgくらい。」 (笑)


「虚弱体質だ」、と笑う鳴嶋氏。
日本男子の平均値はそれぞれ、肺活量4000cc前後、握力40kg であることをみればたしかに、決して「アスリートらしい」素質に恵まれていたわけではない。(握力なんて自転車に関係あるの、と思った筆者だが、ロードバイクは前傾姿勢のため、手や腕にかかる負担は大変なものらしい)

それにも関わらず、鳴嶋氏は自身も東京都自転車道路競走選手権大会優勝などの経歴をもち、「なるしまフレンド」のサイクリングクラブもまた、設立後わずか数年で東京オリンピックの代表選考会にクラブメンバーを送り込むまでに成長した。

こうしたなるしまフレンドの強さはどこにあったのだろう。筆者自身も、もっと速く、もっと長く走れるようになりたい。切実な気持ちで伺ったところ、3つのキーワードを頂いた。


◆足腰の強靭さ
鳴嶋氏は小さい頃から山野を駆けまわって鍛えたそう。豪快!

◆集中力
どんなスポーツでも集中力は大きな要素を占める。自転車もまた同じ。
若いころ「写真屋さん」をしていた鳴嶋氏は、日々おこなわれる暗室での作業により集中力が鍛えられたという【※3】。
また、戦争を知らない世代として驚きをもって伺ったのだが、第2次世界大戦中、まだ10歳にもならなかった鳴嶋氏はお父上の後について、焼夷弾の雨のなかを自転車で避難した。この経験が、これだけの「マーク体験」をした奴はそういないはず、という心の支えになり、誰にも負けまいとする根性につながったという。

◆工夫しつづけること
「レースの間は常に頭を働かせているものだ」と、あのランス・アームストロングのトレーナーであるC.カーマイケル氏も述べている。身体的に有利なアスリートなら、なおさらである。

鳴嶋氏の工夫はまず、最小の力で最大の効果を上げることだった。たとえば、自転車は風圧との戦いでもある。密着するほど楽に走れるが、同時に落車などのリスクも高くなるのでさまざまなテクニックが必要とされる。

鳴嶋氏はつき位置を常に考えるなど、走行上の技術を磨くだけでなく、心理的に相手の不意を突くなど様々な工夫を凝らしたという。その柔軟なライディングから「忍者」というニックネームがつけられたほどだ。


会長:身体が小さいことも、ハンデではなく、逆に武器ととらえて心理作戦をしかける。変幻自在の忍者の走法だよ。

――発想を転換することが工夫につながったんですね。

会長:人の真似をするのもよいが、自分で考えることは大事だよ。今の若い人には特にいいたい。

――たしかにそうですね。強い選手の真似をついしたくなったり、本の通りにやろうとしたりしますけど、ひとりひとり条件も違うし…

会長:ほかにも、肺活量が大きくてもそれを全部使っている人間は少ない。1800ccなら1800ccを全部使えばいい、と考えるようにしたり。

――挙げて頂いたような、発想を転換すること、自分自身で考える姿勢も、もしかしたら含まれるのかもしれませんが、自転車と出会ったことでご自身の中で変化したことや、自転車の魅力についてもう少し詳しく教えて頂けますか。

会長:世界がひろくなったね。始める前と比べていろんな人と知り合えて楽しい時間をすごせるようになった。みんなと楽しく走って、なにかをすることで誰かが喜んでくれたらオレも嬉しい。


鳴嶋氏のこの回答は、今回のイベントの魅力にも通じる。
イベントに対する思いを以前、鳴嶋氏は

>絶妙な先導で完走の満足感を体験させてあげようと考えている。この機会に仲間と共に走る、長距離ランの楽しさを満喫してほしいと思っている。 (NALSIMA BLOGより一部抜粋)

と述べたことがある。
実際、参加中は一貫して主催者の心くばりがあちこちで感じられた。それは押し付けがましい親切ともちがい、かしこまったサービスともちがう、水のような心遣いで、若輩ものの筆者は、ただただその水につかって、ありがたいなあ、と思うばかりだった。

たとえば諏訪湖でのこと。
見晴らしのいい湖畔の道は綺麗に舗装されていて、ここでチームをひっぱる鳴嶋氏はペースをあげた。筆者にとって、たくさん走った後の時速40-45km/hはもう大変。ちぎれそうになるたび、ほかのメンバーにフォローしていただきながらなんとかついていったのだけれど、これは完走だけを目的にただゆっくり走るのではなく、景色がよくて走りやすい場所では
「走ったぞ! という気持ちも味わってもらいたい」
という鳴嶋氏のプランの一環だった。

確かにイベントが終わったあと振り返ると、達成感が深く心に残っている。一人ではあの経験はできなかった。
ペース配分をして集団を引っ張りつづけるのはたいへんなことだけれど、そのおかげで自分のような初心者でも格段に長い距離が走りやすくなる。

もうひとつ例を挙げたい。往路レポートで紹介した、素朴なおまんじゅうがおいしい「つるや」のこと。
スタッフさんがたまたま持っていた「つるや」の請求書の金額をみて夢からさめたような気持ちになり、支払いについて尋ねたところ、「会長が負担しているから大丈夫」という答えが返ってきたのだ。

参加費に含まれてすらいないのかと驚いて、さらに詳しく伺うと、今回のイベントに限らず、毎週のクラブ練習も同様に氏の年金から費用が出されているとのことだった。

氏とたいへん仲のよいスタッフさんは「なるしま財団だよ」と冗談を言って笑っていたけれど、小さいころからおじいちゃん子でもある筆者はその話にいたく感激したのだった。

鳴嶋氏が「つるや」についてつづった文章がある。

>毎回手づくりおふくろの味を食べさせてくれるが、本日の総菜はサイクリングの人達に食べさせようと、お手伝いのおばちゃん達が持参した品とか。添加物使わない味をいまどきどこで味わえる、本当に毎週有難いことで感謝感激よ。心が通い合う付き合いを大事に育てような。
(NALSIMA BLOGより一部抜粋)

「心が通い合う付き合い」、イベント全体を通して感じられたホスピタリティはそうも言い換えられるかもしれない。

主催者のこのホスピタリティのもと、参加者からは「本気であそぶ」姿勢を感じた。
年齢もライディング・ヒストリーも1人ひとりちがうから、200キロが特別な距離でもなんでもない人もいれば、息も上がりっぱなしでようやく完走する人、大事をとってサポートカーを利用する人までさまざまだけれど、イベント当日は快晴で甲府近辺は30度、皆汗だくなのは変わりない。休憩ポイントにたどり着くなり、水ください!とヘルメットを脱いで水をかぶって、座り込んだとおもったらまたすぐに、強い日差しの中にバイクで走りこんでいく。

誰かがそう口にしたわけではないけれど、ゴールを目指してどこまでやれるか、どこまでいけるかみてみたいといったシンプルな動機で走る参加者の様子をカメラでずっと追っているうち、ああ、みんな「真剣に遊んでる」から充実感があるんだな、しんどいけど楽しいんだなと感じた。そして私も、走りたくなった。

明日の朝も早い。鳴嶋氏にそろそろマッサージに集中して頂かなければと、最後の質問をした。


――これから自転車をはじめられる人たちに向けてひとことお願いします!

会長:あまり入れ込まず適当に楽しむことが長続きのコツ。自転車は長く続けることで、幅広く多様な楽しみ方を見いだせるようになる。それこそ楽しみ方は無限、生涯走り続けても免許皆伝にはなれない。ロードのペタリング技術はそれほど難しいんだよ。



シンプルなことほど奥が深いんだ、、、自分自身もロードバイク初心者の筆者も、鳴嶋氏のこの言葉をしっかり心にとどめておこうと思った夜だった。


【本文注※1~3】
※1 イベントを万全の準備で支えてくれるサポーターは業界関係者やサイクリングクラブのメンバーだが、全員がボランティアである。

※2 Eeeランについて
http://www.team-nalsima.jp/
入会前の試走も可能。誰でも気軽に参加できるというのは本当。ロングランに先立って筆者も体験済みである(ハイキング気分でほんとうに気軽に参加してしまいました…)
男女比:男性比率が高いが、ヘルメットにラインストーンを飾るなど、女性らしい楽しみ方をしながらEeeランライフを満喫する女性メンバーも多い。
年代:中学生からお年寄りまで幅広い。過去には「初参加です。昨日自転車を買いました。来年還暦です」と豪語して参入したツワモノもいらっしゃったとのこと。

※3 暗室での作業はたいへんな集中力が必要。プロでも連続して作業できるのは3時間とか。すこし気を抜くとプリントにムラが出る。


【こぼれ話】
「自転車との出会いで世界が広がった」と断言する鳴嶋氏。自転車とともにあったこれまでの人生で印象に残った出会いをひとつ、挙げて頂いた。

現役レーサー時代、東京代表として県対抗レースに出たときのこと。
集団でちぎられそうになり四苦八苦していると、前を走っていた大阪代表の選手がふと振り返り、鳴嶋氏を認めるとなぜか場所をゆずってくれ、ついていきやすいポジションにいれてくれたのだという。紳士的だが、レースのさなか理由なくライバルにおこなう行為ではない。なにか理由があったのか。

考えるうち、その前年に行われた同レースで別の大阪の選手のため、氏が集団をひっぱって走ったことに思いあたった。大阪選手のあいだでその話が交わされており、自分自身がなにかしてもらったわけでもない競争相手の窮地をみて義理をたててくれたのか?
理由と言い切るには根拠が薄く、心にひっかかったまま確める機会もなく、半世紀ちかく過ぎた。

しかし2007年、なんと移動中の新幹線のなかで偶然に、当時道を作ってくれた選手と再会した。同業他種の士としてパナソニックの重役になっていたその選手と旧交を温めるのもそこそこに、氏は気になっていたことをたずねた。「おまえ、あのレースをおぼえてるか」
選手は50年前の出来事を氏同様にはっきりと覚えており、道を譲った理由は氏の推測をみとめたという。

奥深い話だった。骨太のスポーツマンシップ、再会の偶然まで何十年にもわたる自転車の縁に根っからのロードレーサーとしての鳴嶋氏の横顔が見え隠れしていた。



インタビュー:山本杏子

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