昨年発表され、本国カナダで論争を巻き起こした話題作「レーサー/光と影」(原題 La Petite Reine)がDVDとして6月3日(水)、日本でも発売とレンタルが開始される。リリースに先立って開催された試写会から、この映画の魅力と視点に迫ります。(レポート/小俣雄風太)



ドーピングの本質はファン心理の先にある

「レーサー/光と影」「レーサー/光と影」 (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.ツール・ド・フランスの優勝者リストにある7つの空欄。1999年から2005年までの7年間、優勝者の名前は綺麗に抜け落ちている。そこにかつてあった名は、今やドーピングの代名詞として知られるばかりだ。

昨2014年の6月にカナダで封切られた「レーサー/光と影」は、カナダチャンピオンやフレッシュ・ワロンヌを制した女子レーサー、ジュヌヴィエーヴ・ジャンソンの半生に基づいた100分あまりの映画である。栄光に満ちあふれていた半生、その影には常にドーピングがあった。

ひとりのロードレースファンとして、ひとりのロードライドを愛する者として、寝付けないほどに興奮させられたレースの数は少なくないが(何度日本とヨーロッパの時差を憂いたことだろう!)、それが禁止薬物が生んだパフォーマンスであることを知ったときの裏切られたという気持ちもまた少なくない。山岳でのあの興奮、勝利の瞬間のあの昂り、ライダーと観衆とが一体となるあの熱狂。それが嘘だったなんて信じたくない。熱狂に加担した自分に一抹の恨めしさを覚えつつ、それを見ないふりするために「裏切られた」とライダーを糾弾する。ロードレースの観衆はいつだって無邪気で、当事者であることを認めない。

それゆえに、ロードレースが好きな人なら好きなだけ、この映画は辛い。ロードレースファンは選手が路上で苦しみ、それを超克することを見るのが好きな人種であるだろうが、この映画に描かれる苦しみには超克は存在しない。あるのは、一度手を染めたら抜け出せなくなる負のスパイラル。ただしそのスパイラルがチームやスポンサー、コーチや家族との関係といったロード選手をとりまく構造にあることに、ロードレースファンならすぐに気づくはず。手を染めた選手自身が悪いのか、それとも手を染めさせたこの構造が悪いのか、映画を観進めながらわからなくなる。この映画は観る者をレースの外側から内側へと、あたかも当事者であるように引き込んでいく。

ツールの国フランスでは、プレミア上映となった映画祭において6名が気絶するという異例の事態を巻き起こしたという(上映は中断し、別の日に再上映された)。



作り込まれたレースシーン。実際のレース映像や選手の姿も

作中のGPモントリオールゴールシーン。実在のレースロケーションを活用した映像も魅力。作中のGPモントリオールゴールシーン。実在のレースロケーションを活用した映像も魅力。 (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.
ジュヌヴィエーヴ・ジャンソンをモデルにした主人公ジュリーを演じるのはロランス・ルブーフジュヌヴィエーヴ・ジャンソンをモデルにした主人公ジュリーを演じるのはロランス・ルブーフ (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.我らが全日本チャンピオン萩原麻由子(ウィグル・ホンダ)選手も登場するという我らが全日本チャンピオン萩原麻由子(ウィグル・ホンダ)選手も登場するという (c)Bart Hazen / Wiggle Honda photographerレースシーンはカナダのケベック州、ベルギーのリエージュで撮影されたレースシーンはカナダのケベック州、ベルギーのリエージュで撮影された (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.ジャンソンがモデルの主人公ジュリーを演じるのはカナダ・ケベック出身のロランス・ルブーフ。可憐さと憂いを合わせ持つ美貌は、ジュヌヴィエーヴ・ジャンソン本人に比べ繊細すぎるきらいはあるものの、ライドやレースのシーンは一切スタントを用いないという気骨溢れる演技を見せている。

自転車映画において、自転車に乗らない俳優のライドシーンが気になるのはサイクリストの常ではあるが、ジュリーやその他登場人物のライディングフォームは決して悪くない。2013年にツール・ド・フランスの100回開催を記念し、ASOのバックアップのもと壮大なスケールで描かれた『La Grande Boucle』(日本未公開)でさえも主人公のライドシーンにやや違和感があったことを考えれば、素晴らしい努力だと言えそうだ。余談だが、この映画で一番美しいライドフォームを見せたのは友情出演のローラン・ジャラベールであった(というのは当然か)。

映像的に、ロードレースファンがもうひとつ満足を覚えてしまうのはリエージュで撮影されたシーン。ジャンソンのキャリアで最大の勝利とも言えるフレッシュ・ワロンヌは、同時に彼女のキャリアを語る上で欠かすことのできない事件の舞台にもなった。

そんなフレッシュ・ワロンヌでの劇中のシーンには、HUYと書かれた壁のような激坂を上る描写があり、ほこりっぽい春のアルデンヌ地方の色彩が画面を通して伝わってくる。ちなみにこのシーンでは我らが全日本チャンピオン萩原麻由子(ウィグル・ホンダ)選手の姿を見つけてニヤリとするのも楽しい。

ホテルの一室で注射器を手に葛藤したり、チームメイトとのいざこざが表面化するシーンは息が詰まるが、レースシーンではそれぞれの俳優達が生き生きと動き出す。自転車は自由に乗ることのできる乗り物だったと思い出させてくれる。そしてその自由が蹂躙されるがゆえに、私たちはドーピングを敵視するのだと気づかされる。



人間的なチャンピオンの時代に

チャンピオンの孤独と過酷さを描き出すチャンピオンの孤独と過酷さを描き出す (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.
コーチのJPとジュリー。コーチもまた、勝利が絶対命題の存在だ。コーチのJPとジュリー。コーチもまた、勝利が絶対命題の存在だ。 (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.アンチドーピング機構のスタッフとジュリー。どちらの立場に立つかで映画の見方が反転する。アンチドーピング機構のスタッフとジュリー。どちらの立場に立つかで映画の見方が反転する。 (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.事実に基づいているとはいえ、結末に何を思うかは観る人次第だろう。映画はジャンソンの現在より少し前の時点で完結している。着ているシャツの色、室内を満たす光、ジュリーの眼差し。そこには、私たちがロードレースの未来に望む色彩が映し出されていると言ったら、まだ無邪気すぎるだろうか? 

ジュヌヴィエーヴ・ジャンソンのキャリアは、1999年のジュニア世界選手権優勝に始まり2005年のワールドカップ・モントリオール大会の優勝まで続いた。この7年間は、奇しくもランス・アームストロングがツール・ド・フランスを席巻した年と重なる。ツール空白の7年。2人のチャンピオン(と呼ばれた選手)が表舞台から事実上姿を消してからちょうど10年になる。時代はおそらく変わり、選手も変わり、ファンも変わる。先ごろ終幕したジロでは、最強のチャンピオンも最後に弱さを見せた。だが彼はこの「変わった」時代においてダブルツールが可能であることを証明しようとしている。

傲岸不遜なチャンピオンの時代は去った。ロードレースは人間の尊厳を賭した闘いの場になりそうだ。今一度、ファンが無邪気にレースを心底楽しめる時代がやってこようとしている。



「自分のことを思い出しました」田代恭崇さんトークイベント

トークイベントで自身のプロ生活を振り返る田代恭崇さん(リンケージサイクリング)トークイベントで自身のプロ生活を振り返る田代恭崇さん(リンケージサイクリング) (C) 2013 FORUM FILMS (ROSES) INC.「レーサー/光と影」の上映に先立って、元全日本チャンピオンにしてアテネ五輪代表選手の田代恭崇さんのトークイベントが開催された。ライドの楽しさをより多くの人に伝えるリンケージサイクリングを主宰する彼は、この映画を「夜中に一人で観た」という。その感想を「苦しかった。自分のことを思い出すようで……スポンサーやチームメイトとの関係、勝たなくちゃいけないというプレッシャーも」と語った。

自身もチームのエースとして走ることの多かった田代さんだからこそ共感できるレーサーとしての部分。話が本作の主題であるドーピングに及ぶと、「自転車は最も過酷なスポーツ」であることを述べた後、「それゆえに一時期はドーピングが横行している時代がありました。今ではだいぶ減っていると思いますが、無くなったわけではありません」とも。「検査の時はレース後すぐにトラックに連れて行かれて、尿が出るまでずっと見張られます。だいたいレース後は脱水気味なので(笑)、出るまで3時間かかったことも」と勝利の影にある苦労も語られた。

映画の見どころを聞かれると「ドーピングがメインの話ですが、それを取り巻く主人公の心の乱れや、彼女が抱えるどうにもならないような気持ちを自分のことのように捉えてみてください」と回答。本作を観るための素晴らしい手引きとなった。



「レーサー/光と影」
2015年6月3日(水)DVDリリース&全国レンタル開始

text:Yufta OMATA
Amazon.co.jp

レーサー/光と影 [DVD]

トランスワールドアソシエイツ
¥ 5,170

ツール・ド・フランス 勝利の礎

アメリカン・ブック&シネマ
¥1,650